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被爆馬 無言の訴え 原爆資料館 8年ぶりに剥製展示

 広島の原爆で大やけどを負った通称「被爆馬」の剝製の展示が12日、広島市中区の原爆資料館で始まった。癒えた後に農耕馬として飼ったのが増田典之副館長(53)の父だった。8年ぶりの展示は、原爆の後障害を伝える企画展。増田副館長は「原爆がいかに悲惨か、多くの人に伝えてほしい」と願う。

 馬は雄で、6歳の時に爆心地から1・7キロの横川駅(現西区)で被爆し、右半身を大やけどした。剝製にはその痕が残る。当時、誰の所有だったかなどを伝える資料はない。

 増田副館長によると1947年ごろ、広島県川内村(現安佐南区)で農業をしていた父勉さん(96年に82歳で死去)が近所の農家から買い取った。約10年間、田畑を耕した。「気性が優しく、よう働いてくれた」。父の褒め言葉を覚えている。

 被爆馬には、放射線影響研究所(南区)の前身、原爆傷害調査委員会(ABCC)が調査に来た。増田家が手放した後、58年の広島復興大博覧会に「出品」され、来場者の同情を集めたという。

 博覧会から間もなく、19歳と老いた馬は処分された。その皮を資料館が譲り受け、倉庫で保管。剝製になった75年から90年まで常設展示された。その後は2005年の企画展で展示されていた。

 東館3階の収蔵資料コーナーで12日始まった企画展は「後障害―今も続く被爆者の苦しみ」。増田副館長は「人間だけでなく、全ての生き物を苦しめた原爆の非人道性に理解が深まれば」と話す。

 被爆15年後に白血病を患い、死の恐怖をつづった少女の日記、背中にやけどの痕がある男性の写真なども展示されている。10月2日まで。(田中美千子)

(2013年4月13日朝刊掲載)

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