×

ニュース

金井清氏の資料255点寄贈 原爆資料館 未公開写真や日誌

被爆後の建物被害調査 爆心も推定

 原爆資料館(広島市中区)は17日、著名な地震工学者で、被爆後の広島で建物の被害調査や爆心の推定に取り組んだ金井清氏(2008年に100歳で死去)の関係者から、調査資料の寄贈を受けたと発表した。未公開の写真などを含む計255点。同館は「詳細な調査メモなどを含め、当時の資料がまとまった形で残されていたのは貴重だ」としている。(明知隼二)

 資料は、1945年10月~46年1月に撮影された広島の被害状況を捉えた写真やフィルム159点のほか、日誌、建物の被害調査結果、報告書の草稿などがある。金井氏の指導を受けた地震工学者の工藤一嘉氏が遺族から託され、同館に寄せた。

 金井氏は当時、東京帝国大(現東京大)地震研究所の技師。文部省(当時)が学術研究会議に設置した「原子爆弾災害調査研究特別委員会」土木建築学科会の一員として、助手の前田敏雄氏たちと広島入りした。熱線が残した影の方向や角度などから、爆心の位置や高さを推定した。

 写真は53年刊行の同委員会の調査報告集に掲載された7枚を除き、未公開。水主町(現中区加古町)にあった県病院付近から北方面の被害状況や、金井氏の母校でもある広島一中(現国泰寺高、中区国泰寺町)の焼け落ちた講堂など、珍しいカットもある。

 助手の前田氏が記した日誌には、撮影した日時や場所、方角などが詳細に記録されている。資料館の所蔵写真には撮影した場所や時期が不明なものもあり、金井氏の写真に照らすことで特定につながる可能性もあるという。

 金井氏は広島出身で、広島高等工業学校(現広島大工学部)を経て地震研究所に勤務。戦後は地震学会会長、日本大副総長などを務めた。同館学芸課は「出身者として、後世に残さねばという使命感があったのではないか」としている。

 寄贈資料には、金井氏と広島一中の同級生で、東京大医学部教授などを務めた木本誠二氏の被爆手記も含まれていた。新着資料展での紹介を予定している。

 ほかの写真の一部は、ホームページ「中国新聞デジタル」に掲載しています。

(2019年10月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ