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六年竹組 原爆の子の像 建立へ団結 級友禎ちゃん思い出一冊に 

 平和記念公園(広島市中区)にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さん。小学校時代の同級生で、像の建立にも携わった川野登美子さん(70)=中区=が、思い出などをつづった「原爆の子の像 六年竹組の仲間たち」を、55年前に像が建立された5月5日に自費出版する。(二井理江)

 川野さんは、幟町小(中区)で2年から佐々木さんと同じクラスだった。佐々木さんは運動神経が抜群で、学校を1日も休んだことがなかった。しかし6年生だった1955年1月に突然、学校を休んだ後、入院。「かわいそう」という気持ちと、同じ被爆者として「もし私だったら」と恐怖心が起きた、という。

 クラスでは卒業後にも佐々木さんを見舞おうと「団結の会」を結成。佐々木さんが同年10月25日に亡くなった後、「禎ちゃんのために何かしたい」と、像を建てるため、翌11月中旬に広島市で開かれた全国校長会でビラ2千枚を配った。これがきっかけで、市内の小中高の児童会と生徒会が集まって「平和をきずく児童、生徒の会」が発足。58年5月5日に原爆の子の像を建立した。

 川野さんは、被爆50年を迎えた95年に初めて自身や家族の被爆体験、佐々木さんと像の建立について証言。今は年10回程度、修学旅行生や市内の小学生に話している。70歳を過ぎた昨年夏ごろ、「これから年齢を重ねて話せなくなる時が来るのではないか」と考え、本の出版を決めた。これまで、証言の際に文章にまとめており、「いつも話している内容を、ほぼそのまま文字にした」と話す。

 本はB5判、約100ページ。小学2年の時に撮った佐々木さんとの写真など、初めて公にするものもある。同級生が書いた佐々木さんの追悼文集「こけし」に掲載された作文や詩も紹介している。

 「禎ちゃんについて真実を素直に伝える必要がある」と川野さん。「命の大切さ、戦争の悲惨さ、平和の尊さを一人でも多くの子どもたちに伝えたい」と、印刷する千部は関係者らに配布する。

(2013年4月16日朝刊掲載)

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