×

ニュース

被爆手記 いち早く海外へ 直後に惨禍記述 米誌で全文掲載 神父、投下の是非問う

 イエズス会出身のローマ法王フランシスコが訪れる広島で、1945年8月6日に被爆した同会ヨハネス・ジーメス神父の体験記は、海外に最も早く伝わった原爆手記だった。投下の是非を1カ月後に問うたドイツ語原文を米軍が翻訳して原爆開発責任者に送付したことや、米誌「土曜文芸評論」での全文掲載が分かった。

 ジーメス神父(1907~83年)は、広島市郊外祇園町の長束修練院で被爆。避難者を救護し、午後4時ごろ、市内の幟町教会で被爆した神父4人らの行方が分かり救援に向かった。

 手記は「道端には死体がころがり…」と惨禍を詳細につづる。「死者は7万人…負傷者は13万人」との情報や、急性放射線障害の症状も45年9月24日までに書く。さらに「毒ガスと同列…非戦闘員への投下は許されない」「日本国民の玉砕を防いだ」と神父らの議論を紹介。自身は「倫理的に正当化され得るのか…」と問い掛け結んでいた。

 ドイツ人神父の手記は、病理学者のアヴェリル・リーボウ氏が9月27日に東京で翻訳に当たる。オーストリア生まれだった。

 氏の広島医学日記「災害との遭遇」(米エール大医学誌で65年公表)によると、米軍マンハッタン管区調査団医学班を率いたスタフォード・ウォーレン大佐から「ある驚くべき記録の翻訳を命じられ…ぞっとしながら読んだ」。口述翻訳は2日がかりでタイプされた。

 英訳は大佐が原爆開発計画を指揮したレスリー・グローブス将軍に送付。11月27日付書簡で「予備調査報告書にローマ法王への目撃者記述を含む」と報告していた(ウォーレン文書は国立国会図書館が2013年マイクロフィルムで収集)。

 被爆神父の手記は、46年6月29日提出の「マンハッタン計画公式記録及(およ)び諸文書」に収められる。手記抜粋がイエズス会報誌ジェズイット・ミッションズ同3月号に「広島原爆目撃者初の報告」と載るが、投下の是非を問うた最終段落は省かれていた。

 全文は、ニューヨークを拠点とする「土曜文芸評論」46年5月11日号が「核時代」の見出しを付け、7ページにわたって報じる。主筆は後に広島を訪れ「原爆孤児」の養育支援を提唱するノーマン・カズンズ氏。

 日本語訳は、幟町教会で被爆したフーベルト・チースリク神父(14~98年)が編集する「聖心の使徒」70年7・8月合併号と9月に「原爆!」の題名で載る。「初めて原爆への道徳的な評価への呼びかけをしています」と掲載理由を説いた。(西本雅実)

米軍、影響力注視

原爆手記を研究する宇吹暁・元広島女学院大教授の話
 ローマ法王庁は「原爆の使用は遺憾」と45年8月7日に表明し、米紙も報じた。ジーメス神父の手記はリアルな上、神父によるものなので米軍も受け入れた。影響力を注視した。ヒロシマへの関心は、世界的なネットワークを持つ宗派から広がった。その影響力を見つめ直し、どう生かすかが今、被爆地に問われているのではないか。

(2019年11月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ