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社説・コラム

天風録 『平和は犠牲の代償なり』

 焦土の広島で、黒い大きなバイクを駆ったという。そのドイツ人神父、ラサールは世界平和記念聖堂の生みの親。訃報に接した30年近く前、少年時代から彼を知る人に苦労話を聞いた▲「予算はぎりぎり。私たちは鉛筆やバッジを売り歩いた」。聖堂は自身が被爆したラサールの発意であり、バチカンで時の法王にも直訴した。精力的な寄付集めの中で、先のバイクを駆る話が出てくる。「よくもまあ建ったものです」と、彼は形になった聖堂を見上げたと伝わる▲当代の法王フランシスコが次の日曜日に、広島を訪れる。ラサールをはじめ神父たちが、この世の地獄を見て市民と労苦をともにした地を踏む▲顧みれば、広島にはキリシタン殉教の歴史もある。江戸初期に浅野家の家臣たちがあえて信仰を捨てず、刑場の露と消えた。400年を経て彼らが「聖人」に準じる「福者(ふくしゃ)」に列せられたことは記憶に新しい。やはり被爆した神父チースリクの地道な史料発掘が礎になったという▲聖堂の完成に際し「平和は犠牲の代償なり」という言葉が、ベルギーから送られる。犠牲は過去形でいい。窮屈な外交日程とはいえ、法王には歴史に耐える言葉を紡いでほしいと願う。

(2019年11月20日朝刊掲載)

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