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被爆後3ヵ月の広島映像 米軍フィルム現存を確認 復興の息吹も

■編集委員 西本雅実

 原爆を投下した米軍が約3カ月後の1945年11月20日、広島の焦土を撮ったフィルムがあることが、原爆資料館と中国新聞の調べで分かった。米軍が地上から撮った広島の映像で最も早い。復興に向けて立ち上がる市民の様子も写っている。米国立公文書館が所蔵していた。

 復員列車が広島駅に入る場面から始まり、モノクロで約17分収録。荷馬車や人力車も行き交う駅前周辺▽爆風で軌道を外れた路面電車の残骸(ざんがい)が残る八丁堀▽がれきに覆われた本通り一帯▽焼け跡からのトタンも使ったバラックができ、「大売り出し」の幕を掲げて路上販売が現れた横川駅周辺-などを収める。

 校舎倒壊を免れた爆心地から南西約2.2キロの舟入国民学校の場面には「資材ヲ持チ出スべカラズ」の張り紙があり、市民の困窮ぶりがうかがえる。西練兵場(現在の市民球場一帯)での爆弾処理も写されていた。

 カットのつなぎに残る撮影部隊名と日付から、資料館学芸担当の和田香穂里さん(32)は「陸軍航空軍(AAF)が撮影した可能性が高い」とみている。

 米軍は日本占領とともに、残留放射能の有無を調べるマンハッタン管区調査団が9月8日に広島入り。戦略爆撃調査団が翌月から物理的な破壊を詳しく調べ、同調査団の撮影隊が翌1946年3月から4月にかけイーストマン・カラーで広島を収めた。市は1974年に米国立公文書館からそれらを購入したが、原爆が投下された年に撮られた焦土の映像は確認できていなかった。

 今回の映像は、エムティ出版(新岡和幸代表、札幌市)が、米国立公文書館から入手して1998年に全132巻のVHSビデオで出した「終戦直後・占領下の映像記録」(現在は絶版)に含まれていた。ビデオは資料館で見ることができる。

(2009年3月30日朝刊掲載)

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