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被服支廠を「後世に」 市民団体が集い 被爆証言聞き保存探る

 広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)で1日、被爆当時の証言などを聞き、保存に向けた課題を学ぶ集いがあった。今も残る建物4棟のうち、3棟を所有する県は、保存の方向性を検討している。証言者たちは「物言わぬ被爆者」として貴重な建物を後世に残すよう訴えた。(樋口浩二)

 市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が開いた。約150人が参加し、3人の被爆証言を聞いた。

 懇談会代表の中西巌さん(89)=呉市=は、爆心地に最も近い1号棟前で被爆した体験を語った。建物内に重傷者が続々と運び込まれて「地獄のありさま」だったと回顧。「『この建物を核兵器廃絶に役立ててくれ』という魂の声が今も天国から聞こえる。行政は最大限の補強を」と説いた。

 懇談会事務局は、保存に向けた現状と課題を報告した。1913年に完成し、国内最古級の鉄筋コンクリート建築として「同時期にできた原爆ドームを見ても補強の方法はたくさんある。文化財として保全する価値が十分ある」と呼び掛けた。

 県は9月、地震に備えた安全対策を2020年度から被服支廠で施すと表明。10月には3棟について、耐震化や外観保存、解体などの具体策を組み合わせた6案を公表している。

 この動きを踏まえて事務局は、国、県、市による保存の検討会議の設置などを求める要望書を2日、県に出すと報告した。南区のパート従業員茂津目恵さん(47)は「一度解体されればもう戻らない。できる限り残し、多くの人が訪れる場にしてほしい」と願った。

旧陸軍被服支廠(ししょう)
 旧陸軍の軍服や軍靴を造っていた施設。爆心地の南東2・7キロにある。13棟あった倉庫のうち4棟がL字形に残り、県が1~3号棟、国が4号棟を所有する。4棟は鉄筋コンクリート・れんが造りの3階建てで、1~3号棟はいずれも延べ5578平方メートル、4号棟は延べ4985平方メートル。戦後、広島大の学生寮や県立広島工業高の校舎、日本通運の倉庫などとして利用されたが、1995年以降は使われていない。

(2019年12月2日朝刊掲載)

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