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陸軍被服支廠 多額費用 またもネックに

 広島県が4日に「2棟解体、1棟保存」の原案を示した被爆建物「旧陸軍被服支廠」。使われなくなって25年近くの間に博物館や美術館としての活用案が浮上したが、いずれも多額の費用がネックとなって見送られた。今回の検討でもコスト面が課題となり、貴重な建物の保存を1棟にとどめる内容となった。

 「危険性ははるか前から分かっていたのに、何の方向性も決まらずここまできた」「どう利用するかはこれまでに何度も議論され、進んでこなかった」。この日の総務委員会では複数の県議が県の姿勢をただした。県の小寺洋総務局長は「具体的な方針が決まってこなかったのは指摘の通りだ」と受け止めた。

 1945年8月6日。被服支廠は被爆者の臨時救護所となり、多くの重傷者を受け入れた。広島高等師範学校(現広島大)の校舎や学生寮にもなったが、95年に民間企業による倉庫などとしての利用を終えた。

 県は95年、工業デザイナー栄久庵憲司氏(2015年死去)を座長に「瀬戸内海文化博物館」の開設構想を練ったが、98年に財政難で休止した。2000年からはロシア・エルミタージュ美術館の分館の誘致を探ったが、採算性が見込めないとして06年に断念。その後は棚上げされていた。

 今回の検討のきっかけは17年8月に始めた耐震性調査だった。県は「技術的な進歩がある」などとして、96年の調査で1棟当たり21億円かかるとした耐震化費用をより安くする手法を探る考えだったが、結果は33億円とさらに膨らんだ。

 湯崎英彦知事は被服支廠について「非常に重要な被爆建物で、保存したい気持ちは理解できる。ただ、耐震化には非常に大きなコストがかかる」と説明する。原案を柔軟に見直す姿勢も示しており、最終的な方向性をどう描くかが当面の焦点となる。(樋口浩二)

(2019年12月5日朝刊掲載)

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