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旧陸軍被服支廠 「解体ノー」相次ぐ声 倒壊危険 地元は理解も

 広島県が「旧陸軍被服支廠」の方向性を打ち出した4日、県が所有する全3棟を「物言わぬ被爆者」として保存を求めてきた市民からは、「解体ノー」を訴える声が相次いだ。建物の地元からは、倒壊の危険性を除くための安全対策として理解を示す意見も出た。

 市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の中心メンバーの一人、多賀俊介さん(69)=広島市西区=は県議会棟のモニターで、総務委員会の審議を見守った。県が示したのは、「2棟解体、1棟保存」の原案だった。終了後、「やはり3棟保存に動いてほしい」と率直に打ち明けた。

 懇談会は2014年3月に発足し、現地で被爆証言を聞く会などを重ねてきた。多賀さんは「被爆者が老いゆく中、ますます建物の価値は高まっている。何とか残す道を探ってほしい」と県に再考を促した。

 築106年の被服支廠は国内最古級の鉄筋コンクリート建築物でもある。見学イベントなどで訪れる市民グループ「アーキウォーク広島」の高田真代表(41)=中区=は「3棟が南北に並ぶ圧巻の規模、軍都広島の貴重な軍需遺構…。希少性を挙げればきりがなく、2棟解体は残念の一言だ」と嘆いた。

 建物が立つ南区出汐町内会元会長の長田弘さん(80)は「危険性のある建物が、町の中に取り残されていた状況から脱却できる」と、県の原案を歓迎した。保存される1号棟については「平和を発信する空間として、子どもやお年寄り、外国人が訪れてもらえるようになればいい」と願った。(樋口浩二、木原由維)

<被服支廠を巡る主な動き>

1913年   旧陸軍の軍服や軍靴の製造を開始
  45年   原爆投下後、被爆者の臨時救護所となる
  46年ごろ 広島高等師範学校(現広島大)が校舎の一部として利用
  52年   広島県が現存4棟のうち3棟を国から取得
  56年ごろ 民間企業が1~3号棟を倉庫として利用。広島大が4号棟を学生寮
        として利用
  92年   県が現地で建物の強度を調査
  93年   広島市が被爆建物に登録
  95年ごろ 倉庫の利用が中止され、学生寮も閉鎖
  96年   県が「瀬戸内海文化博物館」(仮称)としての活用を見据え、耐震
        性を調査。耐震化費用を21億円と試算
  98年   県が「瀬戸内海文化博物館」構想を休止
2000年   県がロシア・エルミタージュ美術館の分館の誘致候補としての検討
        を開始
  06年   県が分館誘致を断念
17年8月   県が改めて耐震性調査を開始
18年12月  被爆証言を聞く建屋を新設する方針を公表
19年2月   県議会最大会派の指摘で方針を撤回。まず1~3号棟の保存の方向
        性を整理する方向に転換
   9月   地震に備えた安全対策に20年度に着手する方針を表明
  10月   耐震化や外観保存、解体などの6案を公表。概算費用は4億5千万
        円から84億円
  12月   1号棟を外観保存し、残る2棟を解体する方針を公表

(2019年12月5日朝刊掲載)

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