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日系1世が撮った被爆前 松本若次さん写真展 米国内で21年

孫の「3世」、広島訪れ準備 奪われた日常 焦点

 移民先の米ロサンゼルスと被爆前の広島で多数の写真を撮影した松本若次さん(1889~1965年)を紹介する企画展が、2021年2月前後からロスの全米日系人博物館で開かれる。企画した孫のカレン・マツモトさん(65)=ワシントン州=や博物館関係者らが11月、広島市内に滞在し展示物の収集や撮影を行った。(桑島美帆)

 「松本若次 2つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島 1917―1944」。街の活気や、日々の暮らしを鮮明に捉えた写真を通し、米国の原爆投下で何が奪われたのかを問う。展示写真80~100点の大半が米国では初公開。

 広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)内であった見本市の様子や、本通りのにぎわい、八丁堀の電車通りを行き交う人びとを捉えた写真などを想定。38年に相生橋周辺の町並みを撮影したパノラマ写真は、原爆資料館でも見学ルートの冒頭にある1枚だ。米国の日系移民を撮った写真も展示し、「1世」が米国社会に果たした役割を紹介する。

 広島でカレンさんたちは、若次さんの写真や遺品約1万点を保管している市公文書館を訪問し、展示する品々を選んだ。ロス在住の映像作家、アキラ・ボックさん(48)が若次さんの次女の川本静枝さん(94)=廿日市市、市郷土資料館の高野和彦館長(63)、中国新聞社の西本雅実特別編集委員(63)たちのインタビューを収録。若次さんの足跡をたどる映像作品に仕上げ、会場で流す。

 若次さんは17歳だった1906年に渡米し、農業を営みながら最新の撮影技術を習得した。27年に帰国後、猿楽町(現中区基町)の紙屋町交差点近くで「広島写真館」を経営。行事や事件事故などの幅広い写真を撮り続けた。42年に店を閉め、アルバムを地御前村(現廿日市市)の実家に移していたため被爆時も焼けずに残った。「被爆前の広島が一目で分かる第一級資料」(高野館長)という。

 「米国では原爆投下を非難しづらい雰囲気がある。核兵器の近代化が進められている今こそ、原爆によって広島で何が失われたかを知ってほしい」とカレンさん。資金が集まれば米国内の巡回展も目指す。

(2019年12月16日朝刊掲載)

松本若次さんが撮影した写真

米ロサンゼルスで松本若次さんの企画展開催へ 2021年に全米日系人博物館

被爆前の広島よみがえる 松本さん撮影の2000枚発見

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