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社説・コラム

社説 被爆建物「被服支廠」 全棟保存・活用の議論を

 広島市に残る被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」を巡り、所有する広島県の「2棟解体、1棟の外観保存」という原案が、大きな議論を呼んでいる。

 原爆投下から74年を経て被爆者が減っており、被爆建物は惨状を伝える貴重な「証人」である。県は安全対策のためというが、解体方針は性急だと言わざるを得ない。核兵器廃絶を世界に訴えていく上でも損失は計り知れない。おとといは広島市の松井一実市長が被爆建物の意義を語り、「できる限り全棟の保存を」と求めた。

 だが活用策が定まらずにきたのも確かだ。今回の議論を機に保存後の将来像について協議を進めねばならない。

 県の案では2020年度に着手して1号棟の外観保存は21年度、2・3号棟の解体は22年度に完了させる。1号棟と跡地の活用策は国や市と探るという。

 県は9月、老朽化しており地震で倒壊の恐れがあるとして安全対策を施すと表明。耐震化や外観保存、解体の方向性を組み合わせた6案を公表していた。

 被爆者や市民団体からは反対の声が上がる。公表後に結成した団体は1週間、ネット上で全棟保存を求める署名を集め、1万筆以上を県に渡した。湯崎英彦知事は、現在募集中の県民の意見も踏まえ、判断するというが、形ばかりの意見聴取であってはならない。

 鉄扉が爆風でゆがみ、原爆被害の強烈さを伝える被服支廠。貴重な被爆遺構だが、歴史的価値はそれにとどまらない。106年前に建てられた、国内最古級の鉄筋コンクリート建築だ。「軍都」と位置づけられ、城下町から変貌した近代広島の歩みを物語る存在でもある。

 峠三吉は詩「倉庫の記録」に原爆投下後に救護所となった被服支廠での惨状をつづる。具体的に当時を想起できる場所であり文化的価値は高い。現地を訪ね、峠の記述をたどるツアーなど活用も考えられるはずだ。

 被爆建物の減少に危機感を抱いた市は1993年度、被爆建物の登録と、民間所有者による保存工事への補助を始めた。民間の被爆建物にも保存を要請している立場とすれば、県に再考を求めるのは当然だろう。

 松井市長も「失えば二度と取り戻せない」と強調する。だが市も保存・活用には、及び腰であるのは否めない。

 県の審議では、市への無償譲渡の可能性を問う声もあった。しかし市は「具体的な活用案がなく、譲渡は受けられない」と中国新聞の取材に答えている。

 県はこれまで博物館や美術館への活用を探ったが、多額の費用がネックとなり見送られた。

 今回の方針について、湯崎知事は重要な建物と認めつつ「耐震化に非常に大きなコストがかかる」と説明する。だが財源を言うなら、一方で高速道建設への巨額支出を即座に決めたのはどうか。疑問視する声もある。

 今回、県が示した原案は、英国のBBC放送も報じた。世界の目が注がれている。重要性をあらためて考慮し、いったん凍結してはどうか。その上で、もう1棟を所有する国と、市の3者で、保存と活用の具体策と財源について早急に協議を始めるときだろう。

 被服支廠の4棟は最も大きな「もの言わぬ証人」だ。核廃絶に生かすことが責務である。

(2019年12月20日朝刊掲載)

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