×

社説・コラム

『潮流』 中村哲さんの一言

■論説委員 石丸賢

 その一節には、薄い文庫本で出会った。当時高校生だった子どもが、読書感想文の課題本として格闘していたのを覚えている。

 <他の人の行くことを嫌うところへ行け、他の人の嫌がることをなせ>

 明治時代に名をはせた思想家、内村鑑三の講演録「後世への最大遺物」(岩波文庫)にある。

 ここでいう「嫌う、嫌がる」は無論、尻込みしたり、面倒くさがったりする意味合いである。そろばんずくではない無私の精神、何よりそれを行動で示す姿勢をたたえたのだろう。

 先ごろ非業の最期を遂げた医師中村哲さんは、その体現者だった。ハンセン病患者の治療でパキスタンに入り、戦乱の続くアフガニスタンでは診療所に閉じこもることなく、戦火以上に人々をさいなむ干ばつとも闘った。用水路造りに汗し、干からびた大地に緑をよみがえらせたのである。

 間近で中村さんの話を聴いたことがある。江津市の山の中腹に立つキリスト教愛真高校。1学年1クラスの小さな全寮制の学校で、ノーベル平和賞候補に名前の挙がる人が集会室に姿を現すと、生徒の集中力が増すのが見て取れた。

 一部始終はうろ覚えだが、講演後のひと幕は忘れ難い。真っ先に男子生徒が「何が、中村さんをそこまでさせるのですか」と尋ねると、しばし考えた中村さんはこう言ったのだ。

 「大和魂かな」

 予想だにしない言葉だった。本人もキリスト者である。病み、飢えて、取り残されそうな人から目を離さず、置き去りにしない。やむにやまれず動く、その心根が大和魂なのだと。

 借り物の言葉ではない、行動の裏打ちがある一言だった。思えば、講演録で内村もあの一節を「義俠心(ぎきょうしん)」と言い換えていた。

 中村さんをしのび、このクリスマスは例の文庫本を贈り物にと考えている。

(2019年12月21日朝刊掲載)

年別アーカイブ