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社説・コラム

[NIE これ読んで 担当記者から] 焼けたシャツ 私の分身 

■ヒロシマ平和メディアセンター・桑島美帆

中高生が受け継ぐ証言

 原爆資料館(広島市中区)本館にある外国人被爆者コーナーに、米国ハワイ生まれの荒井覺(さとる)さん(84)=南区=が被爆時に着ていたシャツが展示されている。当時10歳。袖や名札の文字が焼け、熱線のすさまじさを物語る。このシャツの前で、荒井さん自身が中高生にあの日の惨状を語った。(11月4日付朝刊)

 被爆者から1945年8月6日とその後の体験を聞き取り、まとめた記事「記憶を受け継ぐ」を原則として月1回掲載しています。これまでに約140人の証言を紹介してきました。

 顔や手にやけどの痕が残り、異国で偏見と闘った荒井さんのような人、両親を奪われた人、放射線を浴びたことによる健康被害や差別を恐れてきた人―。1発の爆弾がもたらした苦しみは重く、体験は一人一人異なります。

 取材には、中国新聞ジュニアライターが同席します。被爆者から見れば、孫やひ孫のような中高生記者。普段はつらい記憶を心にしまっている人が、せきを切ったように語り始めることも少なくありません。

 荒井さんの取材には高校2年の斉藤幸歩さん(17)と中学1年の田口詩乃さん(13)が参加しました。それぞれ「海外の人も巻き込まれた事実を突きつけられた」「初めてケロイドを見た。痛々しくて胸が締め付けられた」と感想をつづりました。

 原爆が落とされてから、来年で75年。最近は90歳以上の被爆者の取材が増えています。あの日の惨状や半生を語る肉声を聞き、次世代に受け継ぐことが今こそ大切です。

 私の祖母も被爆者でしたが、その過酷な体験を知ったのは亡くなった後でした。赤ん坊だった父を抱き、必死で火の手から逃げたことを手記に書き残していました。きちんと聞いておくべきだった、と悔やんでいます。皆さんも平和学習などで被爆者と会う機会があれば、言葉をしっかりと受け止め、自分にできることを考えてほしいです。

(2019年12月22日朝刊掲載)

『記憶を受け継ぐ』 荒井覺さん―焼けたシャツ 私の分身

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