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被服支廠保存へ思い共有 被爆者団体や市民グループ 集いや見学会 「県に意見を」呼び掛け

 広島市内で最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)の全棟保存を求める被爆者団体や市民グループが11日、理解や協力を広めようと、現地などで相次ぎ活動した。3棟を所有する県が示した「2棟解体、1棟の外観保存」の原案について、16日までの県の意見公募で思いを届けるよう、参加者に要請。被爆当時の様子や建物の歴史的な価値なども共有した。(畑山尚史)

 県被団協(佐久間邦彦理事長)と県原水協などが現地付近で開いた「被服支廠を見て学ぶ会」には、約80人が集った。近くで生まれ育った被爆者の切明千枝子さん(90)=安佐南区=が、原爆投下直後に救護所となり、祖母をはじめ多くの人が避難した状況を語った。

 切明さんによると、被服支廠では大勢の人が働き、幼稚園なども備えていたという。「被服支廠は加害の証しでもある。二度と軍国主義に陥らないためにも圧倒的な存在感のある全棟を残してほしい」と訴えた。

 建物を巡るイベントを開く市民グループ「アーキウォーク広島」は、現地で午前と午後の2回、見学会を開催した。午前は約50人が参加。中区の建築士明田昌也さん(42)は「コスト重視の現在では難しい工法で、建築士の間でも関心が高い。最新技術で保存は可能なはず」と思いを強めた。

 見学会では、赤れんがの壁が続く建物の外観などを歩いて見て回る。12、13日も午前11時と午後1時からあり、希望者は南区翠の翠町第2公園に集合する。

 中区の原爆資料館では、被爆体験伝承者たちでつくる「つなぐヒロシマ」が、被服支廠の歴史などを知る集いを催した。約80人が参加し、「旧被服支廠の保全を願う懇談会」メンバーの説明を聞いた。救護所となった被服支廠内の惨状をつづった峠三吉の詩「倉庫の記録」の朗読もあった。

(2020年1月12日朝刊掲載)

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