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原爆映画「ひろしま」 助監督熊井さんの遺品発見 絵コンテ・日誌

学校ロケや小道具提供

 被爆の惨状を訴えようと撮影された映画「ひろしま」(1953年)の絵コンテや撮影日誌が、当時、助監督として参加した熊井啓さん(1930~2007年)の遺品から見つかった。約9万人の市民らが撮影などで協力した同映画。まちぐるみで制作を支えた様子を裏付ける貴重な記録となっている。(坂田茂)

 関川秀雄監督が撮影現場で描いた絵コンテや、熊井さんが書いた衣装記録、ロケ地を記載した日誌など約200点。熊井さんの妻明子さん(72)=東京都調布市=が1月上旬、自宅で遺品を整理していて見つけた。

 絵コンテは、被爆直後、川に逃げ惑う先生と女生徒や、流される子どものシーンなど8枚があった。先生役の月丘夢路さんの衣装記録は、被爆前後の服装や髪の毛の様子を対比して指示。被爆の惨状に克明に迫ろうとした気迫が伝わる。

 日誌に記された広島市内の地図には「宇品小」「舟入高」などロケ地が赤い印で示され、詳しい場所が判明した。提供された戦闘帽やバケツなど小道具の記述もあり、映画を支えた市民の熱意を裏付けている。

 全国で「ひろしま」の上映会を開いている映画プロデューサー小林一平さん(66)=同狛江市=は「絵コンテから現場での熱心な指導ぶりが分かる」と話し、原爆被害を告発するために制作された映画の舞台裏を知る貴重な資料と強調。今後、上映会場で公開する予定だ。

 熊井さんはその後、社会派映画監督として「サンダカン八番娼館 望郷」「海と毒薬」などを撮った。明子さんは「夫にとって『ひろしま』は、市民の視点から表現することの難しさを知り、映画監督の原点となった作品。協力してくれた市民の熱意の記録として大切に保管していたのだろう」と話している。

映画「ひろしま」
 少年少女の被爆体験記「原爆の子」(長田新編)を基に、被爆した女生徒らの悲劇や戦後の苦しみを描いた。被爆シーンの表現などをめぐって大手が配給を拒否し、長らく埋もれていた。福島第1原発事故などで再び注目を集め、自主上映運動が続いている。ベルリン国際映画祭(1955年)長編映画賞受賞。

(2013年4月28日朝刊掲載)

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