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平和公園模型 50年神戸博で初公開 市公文書館調査で判明

 日本を代表する建築家、丹下健三氏(1913~2005年)が1949年に手掛けた広島市の平和記念公園(中区)の設計当初案に基づく模型が、翌50年の日本貿易産業博覧会(神戸博)で初公開されていた。市公文書館が模型のオリジナル写真3点を見つけ、研究者らの協力を得て、丹下氏の書簡や関連資料を調べ、制作や出展の経緯などを特定した。(編集委員・西本雅実)

 市は、復興事業を推進するため国に求めた特別立法の「平和記念都市建設法」の成立が濃厚となった49年4月、爆心地帯の中島地区を対象に「平和記念公園及び記念館」の競技設計を実施した。

 応募145点から丹下氏(当時は東京大助教授)グループのコンペ案が1等入選となり、建設法が公布された8月6日発表された。旧制広島高OBでもあった丹下氏は、戦災復興院の求めで広島の調査に当たり、土地利用計画もまとめていた。

 丹下氏が49年11月から51年6月にかけ市に送り、現在は同館が保存する23通の書簡に、模型制作は神戸博がきっかけだったことを裏付ける記述があった。

 「神戸博の出品のこともございまして、広島平和会館の300分の1の模型を(東京の)植野模型店に制作させ、目下、神戸博の広島の一室に出品しております」(50年3月30日付)。建築写真家の平山忠治氏に模型を十数枚撮ってもらったことも報告している。

 神戸市などによる神戸博は50年3月15日から6月15日まで、現在の灘区の王子公園などを会場に開催された。

 近代建築史が専門の梅宮弘光神戸大大学院教授によると、丹下氏は小磯良平画伯らが率いた新制作派協会の建築部に49年参加し、「若手のホープとして博覧会の外観構成や展示にかかわっていた」と指摘する。

 開催前年の49年8月に編まれたシナリオは「平和都市 広島」の出展を織り込み、市が「広島平和公園模型」や原爆瓦などを出品した目録を神戸市が所蔵していた。

 丹下氏は設計に込めた思いを「建築雑誌」49年10月号で、「平和は、人々が実践的に創り出してゆくもの」「いま、建設しようとする施設は、平和を創り出すための工場でありたいと考へた」と表している。

建設推進の訴え

 「都市の復興」(広島市刊)などの編さんに当たり、現在は広島諸事・地域再生研究所代表、石丸紀興さんの話

 丹下さんのコンペ案に基づく模型写真は「国際建築」50年10月号などで紹介されたが、模型の実物が神戸博でいち早く展示されていたのは、これまで分かっていなかった。多くの人に現実感を持って模型を見てもらい、平和記念公園の建設を進めようとした熱い思いがうかがえる。

(2013年4月29日朝刊掲載)

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