×

ニュース

[ヒロシマの空白 被爆75年] 供養塔の遺骨 1体返還調査 広島市 10年度以降2例遺族へ

 引き取り手のない遺骨として平和記念公園(広島市中区)の原爆供養塔の納骨名簿に記載されている「鍛治山はる」さんについて、「被爆死した曽祖母ではないか」と市に相談が寄せられ、遺骨返還に向けた調査が始まったことが2日分かった。名字の漢字などが違うが、住所は一致。実現すれば原爆供養塔の遺骨返還は2017年秋以来となる。(山本祐司)

 市原爆被害対策部調査課に連絡したのは広島県府中町の会社員梶山修治さん(54)で、本紙取材がきっかけ。曽祖母の梶山ハルさんは、1945年8月6日当時は61歳。広島市皆実町3丁目(現南区)に住んでいた。被爆後、遺骨は見つからないままだった。

 納骨名簿には、「鍛治山はる」さんの名前とともに「皆実町三丁目」との記述もある。調査課は「住所の一致は大きい。名前は漢字の誤記かもしれない」とみる。市内の旧町名に「鍛冶屋(かじや)町」(現中区)があり、被爆直後の混乱の中で「梶」を「鍛治」と混同された可能性も考えられる。

 市は、45年当時に「鍛治山」姓の住民が皆実町周辺にいなかったかどうかを念のため調査するなどしながら、梶山さんと返還に向けた協議を進める。

 原爆供養塔は55年に建てられた。地下納骨室の遺骨は「約7万体」とされ、ほとんどは名前が不明。ただ、一部は骨つぼなどに名前があることから、市は68年に2355人の納骨名簿の公開を開始した。現在は「鍛治山はる」さんを含む814人。

 市は毎年7月に納骨名簿のポスターを全国に発送しているが、一家全滅などにより引き取り手が現れないケースは少なくないとみられる。年月の経過も壁になっており、2010年度以降の返還は2例にとどまる。

(2020年2月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ