×

ニュース

旧防空作戦室 保存を検討 専門家会議設け議論 公開視野 広島市近く国と協議

 米国の原爆投下直後に「広島壊滅」の第一報を伝えた広島城(広島市中区)の本丸内にある被爆建物、中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)を巡り、広島市は保存、公開に向けた検討を始めた。近く所有者の国との協議を始め、2020年度以降に専門家による会議を設けるなどして、劣化状況の調査や保存工事の手法を探る。(永山啓一)

 市緑政課によると、旧防空作戦室は財務省が所有し、市が管理している。市は3月までに、保存工事をする場合の事業主体や費用負担などについて財務省と協議を始める考え。広島城本丸は国史跡のため、現状を変える場合、文化庁との協議も必要になる。

 市は従来、旧防空作戦室を平和学習などの場として申請に応じて公開してきた。ただ、半地下構造の建物は天井のコンクリートが剝げ落ちるなど老朽化が進み、17年度からは安全性を確保できないとして公開を中止している。その後、耐震調査と工事を予定していたが、調査自体が建物を一部壊すことや多額の費用が見込まれることから、見合わせていた。

 旧防空作戦室は建設時の図面が残っておらず、全容が分かっていない。専門家からは周囲に未知の部屋が埋もれている可能性が指摘されており、調査や工事をする際には与える影響も考慮する必要があるという。

 市緑政課の久波一行課長は「被爆建物としての重要性は認識しており、保存、公開に向けて検討する。保存工事が技術的に可能なのかや、費用面などについては専門家を交えて慎重な議論が必要になる。まずは所有者の国との協議を急ぎたい」としている。

旧日本軍中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)
 1944年末~45年初めごろ、空襲への警報・警戒警報を出すために建設された。爆心地の北東790メートルにあり、半地下構造の平面に四つの部屋が残る。約200平方メートル。被爆当時、比治山高女(現比治山女子中・高)から動員された岡ヨシエさん(2017年に86歳で死去)が電話で、福山の部隊に「広島壊滅」の第一報を発した。市は申請に応じて内部を公開してきたが、17年4月24日から中止。体験証言会が開かれるなど、平和学習の場になっていた。

(2020年2月4日朝刊掲載)

年別アーカイブ