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明治期地図に竹島航路 東広島の民家で発見 「往来ある領土」示す

 日韓両国が領有権を主張している竹島(韓国名・独島(トクト))が載った明治時代の地図が、東広島市の民家で見つかった。竹島と島根県隠岐の島町を結ぶ航路も記され、専門家は「明治時代に人が往来する日本の領土だったことを示す貴重な資料」と評価する。(境信重)

 縦74センチ、横107センチ。「大日本交通明細地図」の表題の上に「大阪毎日新聞社調査訂刻」と書かれ、右端には「大阪毎日新聞九千号付録 明治四十一年九月廿五日」と記してある。政府が竹島の島根県への編入を閣議決定した1905年1月の約3年8カ月後に当たる。

 隠岐の島町の南岸と竹島の間には航路を示す赤線を引き「85」の数字がある。カイリなら約157キロを表し、隠岐の島町と竹島の距離と合致する。

 同じ大きさの「世界交通全図」とともに1枚の台紙に上下に並べて貼られていた。世界交通全図にも竹島があるが、発行日の記載はない。

 地図は十数年前、東広島市の主婦(59)が同市安芸津町の実家の蔵で見つけ、自宅で保管していた。竹島問題研究会の委員で県立広島大の原田環名誉教授(朝鮮史)は「竹島が形式的な日本の領土ではなく、人が往来する実態を伴った領土だったと分かる貴重な資料」と話している。

(2013年5月3日朝刊掲載)

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