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外国人被爆神父ら登録 イエズス会の16人 名前と遺影 広島追悼祈念館 今月中に公開

 1945年8月6日に被爆したイエズス会の外国人神父・修道士16人の名前と遺影が、同会日本管区本部(東京)によって、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)に登録され、今月末までには公開となる。出身地別でみるとドイツ13人、スペイン1人、朝鮮半島2人。また、未曽有の事態から神父らと救護に努めた煉獄(れんごく)援助修道会シスターで、唯一の健在者が102歳で今年1月に死去したことも分かった。(西本雅実)

 爆心地から約1・2キロ、神父4人がいた幟町教会司祭館で遭った原爆の惨禍を翌年に欧米で証言し、世界平和記念聖堂(54年完成)の建設を呼び掛けたフーゴ・ラサール神父は、日本名の愛宮真備(えのみや・まきび)でも登録される。48年に日本国籍を取り、68年広島市名誉市民に。再統一直前の西ドイツで90年に91歳で死去した。

 ラサール神父のレリーフを埋めた聖堂は2006年、原爆資料館とともに戦後建築で初めての重要文化財に指定された。

 戦時下の抑留を免れ東京から疎開もしていたドイツ出身の13人は、11年までに全員が亡くなった。うち、3人は戦後に日本国籍を取得して改名もした。

 市郊外祇園町(現安佐南区)の長束修練院に避難して来た負傷者の救護を率いた院長、ペドロ・アルペ神父はスペインの出身。65年にイエズス会総長となり、91年にイタリア・ローマで83歳で死去した。

 日本が植民地支配した朝鮮半島からの修道士だった、金太寛(キム・テグァン)神父(50年叙階、韓国ソウルで90年に71歳で死去)ら2人の遺影も寄せられた。

 登録は、イエズス会出身でもあるローマ教皇フランシスコの昨年11月24日の被爆地訪問を控え、レンゾ・デ・ルカ日本管区長を叶真幹館長が訪ねて要請。16人の被爆状況を掘り起こした中国新聞11月12日付も送り、管区として調べあらためて16人の遺影を集めた。

 楠木町(現西区)にあった煉獄援助修道会三篠修道院では、シスター7人がドイツ出身の神父とミサを終えて被爆した。日本、イタリア、フランスが各2人、アイルランド1人。長束修練院へ避難し、ガーゼとホウ酸水での看護に努めた。

 健在だった山田アソブ・シスターは1月26日、神戸市内の特別養護老人ホームで死去した。102歳。73年に渡米しカリフォルニア州などで34年間日系カトリック教徒とも歩んだ。修道会日本管区本部(東京)は、山田シスターの名前と遺影も登録する考えだ。

(2020年2月23日朝刊掲載)

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