×

社説・コラム

永田町発 被服支廠 どう保存・活用 視察した国会議員2人に聞く

 存廃が議論されている広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)に2月、国会議員の視察が相次いだ。自民党の「被爆者救済と核兵器廃絶推進議員連盟」の寺田稔代表世話人(広島5区)は議連メンバーとともに、国民民主党の森本真治氏(参院広島)は玉木雄一郎党代表らと一緒に訪れ、現状を確認した。どう保存、活用していくべきかを寺田、森本両氏に聞いた。(河野揚)

自民 寺田稔氏(広島5区)

平和学習 資金源になる

  ―視察した感想を聞かせてください。
 広島大付属中・高(南区)に通っていた頃によく見ていたが、改めて平和を発信するシンボルになると感じた。鉄筋コンクリート・れんが造りの建物では国内最古級で、被爆者を救護する拠点にもなった。歴史的な価値がある。

  ―4棟全てを保存すべきだと考えますか。
 財政的な裏付けなく全部残せというのは無責任だ。私が代表世話人を務める自民党の議員連盟で、保存費用の調達手段を試算して、財源を提示する必要があると思っている。4棟を保存できる可能性はある。その試算をみて、県はどうすべきかを決めてほしい。

  ―資金確保の方法は。
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)への登録に手を挙げれば、世界の注目を集められる。登録によってユネスコ側から資金援助を得られる可能性がある。国内外からクラウドファンディングやふるさと納税でも資金を募れる。

 文化庁は国の史跡に十分なり得るとみており、指定されれば保存費の原則半額を国が補助する。厚生労働省の被爆建物保存の補助金も活用できる。

  ―利活用のアイデアはありますか。
 平和学習に使うのがいいと思う。若い人たちに平和の大切さを伝える拠点だ。多くの人が訪れれば、億単位の入場料収入になるかもしれない。

  ―存廃の議論になぜ熱心に取り組むのですか。
 私自身が被爆2世であり、被爆者救済と平和な世界の実現は大事な取り組みと思っている。被爆75年の節目に、被服支廠の議論に一定の方向性を示したい。

国民 森本真治氏(参院広島)

集客へ アイデア募ろう

  ―現地を訪れ、どう感じましたか。
 規模が大きく迫力があった。この4棟のスケールを生かすことが、平和のメッセージを伝える上で重要だ。ただ周囲に民家が密接しており、安全面に課題があることも感じた。

  ―4棟全てを残すべきだと考えますか。
 3棟を所有する県は、それを残すことを前提にもう1度検討するべきだ。1棟を所有する国は、地元の意見を尊重する考えなので、国の1棟をどうするかも県が判断すればいいと思う。市も県に全棟保存を求めるだけでなく、主体的に議論に加わってほしい。

  ―安全対策の資金をどう確保すべきでしょうか。
 厚生労働省や文化庁、国土交通省などの補助金にはさまざまなメニューがある。インバウンドやまちづくりの予算を使える可能性もあるかもしれない。県にそれを研究してもらいたい。補助が実現するよう私は国に働き掛けをしたい。

  ―建物の利活用方法は。
 人が集まるような機能を持たせるべきだと思う。メインは平和について考える機能だが、それだけで人を集めるのは難しい。専門家や県民、市民からアイデアを募るのがいい。平和記念公園(中区)などとともに市内を回遊するようにする活用策もあると思う。

  ―野党の「核兵器のない世界を目指す議員連盟」で事務局長代理もされていますね。被服支廠の問題に力を入れる理由は。
 被爆者が高齢化し、被爆体験を伝えられる人が少なくなっている。被爆の実相を伝える被爆建物は残さなければならない。それが核兵器廃絶につながる。与党にも呼び掛け、被爆75年の国会決議も実現させたい。

旧陸軍被服支廠(ししょう)
 1913年に現在の広島市南区出汐に完成し、陸軍の軍服や軍靴を製造した。13棟あった倉庫のうち4棟が現存し、広島県が1~3号棟、国が4号棟を所有する。原爆の爆心地から南東2.7キロで、被爆建物としては最大級。県は2019年12月に「2棟解体、1棟の外観保存」とする安全対策の原案を公表したが、県議会の要望などを受けて20年度の着手は先送りした。国は、県の検討を踏まえて4号棟の方針を決めるとしている。

(2020年3月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ