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供養塔改修 住民が紡ぐ 大勢の遺体埋められた広島県坂町 妹を思う遺族 手を合わす

 被爆直後から大勢の負傷者が運ばれた広島県坂町にある1953年建立の供養塔を、地元住民が改修した。雑草が取り除かれ、丁寧に整備された「墓」を原爆犠牲者の遺族が訪れ「ありがたい」と静かに手を合わせている。(山下美波)

 高さ約2メートルの「大東亜戦争 広島市原爆 犠牲者無縁仏供養塔」で、広島湾を望む同町横浜西の高台に立つ。45年当時は近くの同町鯛尾に陸軍暁部隊の施設があり、被爆した負傷者が収容された。遺体は高台の中腹に埋められたという。

 当時7歳だった住民の池上至さん(82)は、兵士が遺体を運ぶ姿を覚えている。「後になって、雨が降ると土の中から遺骨が出てきました」。胸を痛めた近くの住民、北野勝三郎さん(80年に82歳で死去)が遺骨を集め、私費で供養塔を建立した。75年、中国新聞の取材に「悲惨な目に遭って肉親も分からずに亡くなられたのに、粗末になっては…」と振り返っている。

 北野さんが亡き後、供養塔は経年劣化が進んだ。今年1月末、地元住民でつくる「横浜戸主会」が業者に依頼して碑文を塗り直したり台座に雑草の生えにくい土を入れたりした。

 「13歳の子がここで家族にみとられず亡くなったと思うとかわいそうで…」。広島市佐伯区の前田良孝さん(90)は、弟正弘さん(82)=同区=とこのほど供養塔を初めて訪れた。進徳高等女学校(現進徳女子高)2年だった妹ミヨ子さんを原爆で失った。

 南竹屋町(現中区)で被爆し、鯛尾に運ばれて亡くなったとみられるが、遺骨は見つかっていない。遺体は似島(現南区)に運ばれた可能性があると聞いていた前田さん兄弟は、坂町に供養塔があり、一部の犠牲者の遺骨が入っていることを最近まで知らなかった。

 絵や書道が得意だったミヨ子さん。良孝さんは、優秀な妹がうらやましく、よくけんかしたことを後悔しながら仏壇に手を合わせてきた。ミヨ子さんがどちらに眠っているかは不明だが「立派な供養塔を建て、守り続けてくれてありがたいです」。2人は声をそろえた。

(2020年3月2日朝刊掲載)

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