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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 原子力災害の怖さ モノと空間から感じ取って 福島大特任助教 深谷直弘さん

 東日本大震災から9年。福島第1原発事故のため一部不通だった福島県内のJR常磐線も全線復旧する。駅が再開する双葉町では、今夏、アーカイブ拠点「東日本大震災・原子力災害伝承館」がオープン。原発事故の教訓を後世に残す施設だが、何を展示し、どう伝えるのか―。福島大うつくしまふくしま未来支援センター特任助教の深谷直弘さん(38)は苦悩しつつ展示資料の収集を続けてきた。長崎で被爆者の証言収集に携わった経験もある深谷さんに聞いた。(論説委員・田原直樹、写真も)

  ―どんな資料を、どのように集めてきたのですか。
 原子力災害の資料を中心に、地震・津波に関する物や震災前の生活、風評被害を表す物まで幅広く集めています。県民にもチラシで呼び掛け、これまでに約20万点を収集。さまざまな生活用品もありますが、主には紙資料やデジタルデータ。写真や動画は膨大な数です。

  ―原発事故の被害を伝えるのはどんな物ですか。
 地震・津波の被害ならば、つぶれた車や泥まみれの家電など見た目にもインパクトがありますが、原子力災害は目に見えず物で伝えるのが難しい。展示は担当しませんが、どうすれば原発事故被害を伝えられるか、集めながら今も考えています。

  ―原子力災害を象徴するような物はありませんか。
 国の現地対策本部となったオフサイトセンターのホワイトボードでしょうか。被害状況が刻々と書かれ、読めば緊迫感が伝わります。でもやはり、ただのホワイトボード。これが原発事故の被害だ―とひと目で伝える物となると、なかなか難しい。

  ―楢葉町の小学校から持ち帰った黒板はどうですか。
 パッと見て、落書きのようなメッセージが残ります。9年前の3月11日の板書と、一時持ち出しが許可されて一瞬だけ戻った児童の言葉が混在。「○○参上」「久しぶり」とか。地域の将来を担うはずの子どもたちがバラバラになり、戻らないことを物語っています。

  ―悲しみを伝えたいですね。
 帰還困難区域にある小学校の教室は今も3月11日のままで、時間が止まったよう。原発事故が何をもたらすか。言葉ではなく雰囲気で端的に伝えます。でも教室に残る物を持ってきて並べても怖さは伝わりません。あの空間だから感じられる。そのためにも津波の痕をとどめる震災遺構のように、原発被害遺構を残すべきです。被害を物語る遺構として、ほったらかしの教室を見てほしい。

  ―展示品で伝えるのは本当に難しそうです。
 一つ一つに説明が必要です。なぜ福島に原発があったのか、歴史的、社会的な背景もきちんと説明すべきです。でも背景を長々と説明する展示は敬遠されがち。説明を減らし、極力モノだけで伝え、「物語」で見せるのが流行ですよね。そのため、一体どんな展示になるのか少し不安です。それに、原発と共に歩んできた地元としては若干、歴史的、社会的な説明を避けたい気持ちもあるようです。

  ―長崎で被爆者の証言を収集した経験は生きていますか。
 被災者をインタビューする際に当時の証言のほか現在までの生活、思いも聞きました。被災後の生き方を含めた語りでないと、後世に伝わらない。「語り部」事業はヒロシマ・ナガサキに学び、進めねばなりません。

  ―原発被害を伝える施設ならば、脱原発がテーマですか。
 復興です。構想では災害の始まりから事故初期の混乱、3・11前の回想を経て、「原子力災害の長期化」「復興への挑戦」で締めくくることになっています。新産業創出を目指す政府の福島イノベーション・コースト構想の一環で造られる施設のためか、企業の展示ブースも入ります。明るい未来を示す後半の展示には疑問を感じます。

  ―原発事故が起きたけれど、「うまく乗り越えられます」という展示に思えますね。
 廃炉の困難さ、進まぬ復興など現実を直視し、伝えるべきなのに。時の止まった教室など周辺の「原発事故遺構」も見て、感じ取ってもらいたいです。

ふかや・なおひろ
 北海道旭川市生まれ。法政大大学院社会学研究科博士後期課程修了。同大などの非常勤講師を務める傍ら、長崎で被爆遺構の保存や継承活動について調査研究。17年4月から現職。著書に「原爆の記憶を継承する実践 長崎の被爆遺構保存と平和活動の社会学的考察」(新曜社)。

■取材を終えて
 原発事故がもたらした、目に見えぬ放射線被害。その恐ろしさと悲しみを私たちは感じ取れるだろうか。「復興」も同じ。目に見えるインフラ整備は進んでも、福島にとっての本当の復興はまだ目に見えてはいない。

(2020年3月11日朝刊掲載)

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