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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説主幹 宮崎智三 原発のしまい方

あいまい政策もはや限界だ

 マグニチュード9の大地震が東北の大地を揺らす。続く大津波で東京電力福島第1原発は、電源を全て失う。最悪の場合、東日本壊滅の恐れがある。それでも中央制御室で働く人たちは緊急事態に立ち向かう…。

 ノンフィクションを原作にしただけあって、リアルに描かれている。先週封切られた映画「フクシマフィフティ」である。惨事が広がるのを食い止めたのは、東電本社の指示でも政府でもなく、現場の人たちだった。その苦闘や、危機をひとまず乗り切った喜びが胸に迫ってきた。

 見終わって頭に浮かんだのは以前、福島県富岡町にある廃炉資料館で見た東電社長名の「反省文」だった。「事前の備えによって、防ぐべき事故を防ぐことができませんでした」「反省と教訓を決して忘れることなく」などと記されていた。

 発生から9年、その教訓は生かされているか。私たちの意識はどう変化したのか。考えさせられた。

 再稼働が進む中、国民の不信感は膨らんだままだ。原発を巡る「闇」は今なお深いからだ。

 昨年秋、「原発マネー」が関西電力の幹部らに還流していた疑惑が発覚した。2月には日本原子力発電が敦賀原発2号機(福井県)の地質データを書き換えて原子力規制委員会に示していたことが分かった。原子炉建屋の直下に活断層があると指摘されていただけに、安全最優先ではないと批判されても仕方あるまい。

 事故を巡る刑事裁判の判決も、不信感を高めた。東電の旧経営陣3人の責任を問う訴訟で東京地裁は昨年秋、3人に無罪を言い渡した。国の審査基準などは「絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかったとみざるを得ない」から刑事責任は問えないとの判断という。

 驚くほかない。

 本紙も加盟する日本世論調査会の最新の世論調査に、こんな数字がある。深刻な原発事故が再び起きる可能性があると思う人は84%―。さらに電力会社の原子力事業が「信頼できない」人は75%に達する。不信感の根深さを示している。

 原発の数を「段階的に減らし将来的にゼロにする」との答えは63%だった。支持政党や性別、年齢にかかわらず再稼働をある程度は認めながら将来の脱原発を求める声は多い。同様の回答はおととしが64%、昨年は63%を占めていた。国民の意識として定着したことがうかがえる。

 こうした厳しい視線を認識しているからなのか。政府は原発をベースロード電源と重要視して再稼働を進める。一方で、2018年に野党が出した原発ゼロ法案をたなざらしにするなど、原発の存廃論議を避けようとしているようだ。原発推進を事故前のように強く打ち出せば、反発は必至だと考えて意図的にあいまいにしているのだろうか。

 そうした矛盾は、18年に閣議決定したエネルギー基本計画に現れている。原発依存度は可能な限り低減させるとしながら、電力に占める原発の割合は30年度で20~22%と高い設定のままだ。30基ほど再稼働させないと不可能だが、いま再稼働しているのは9基だけ。電力全体に占める割合も数パーセントにとどまっている。原子力業界でも「達成できない」との声が半数あるほどだ。

 あいまいな政策を政府はいつまで続けるのか。もはや限界だと言わざるを得ない。原発をどうしまっていくか、考える時期ではないか。

 併せて、核燃料サイクルからの撤退も決断すべきである。高速増殖炉もんじゅの失敗は、サイクル破綻の象徴と言えよう。廃炉などにかかる費用は必要だろうが、見通しの立たないサイクルに税金をつぎ込むようなら、再生エネルギーの拡大にこそ投資しなければならない。このままでは技術面でも実績でも欧州各国に差をつけられる一方ではないか。

 基本計画は3年おきの検討が義務付けられている。事故から10年となる来年にかけて見直しが進められる。国民の思いを踏まえて論議を深めることが政府に求められる。

(2020年3月12日朝刊掲載)

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