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遺品 無言の証人

[無言の証人] 救護活動に使われた薬箱

消毒液残った瓶も

  被爆者の救護活動に使われた薬箱。薬剤や消毒液が残っているものもある=1974年、眞田寛一さん寄贈(撮影・田中慎二)

 「ヨード丁幾(チンキ)」「硼酸錠(ほうさんじょう)」「メンタ酒」―。「隊壹(たいいち)」と刻まれた縦横28センチ、深さ13センチの木箱に8種類の医薬品や、たわしが収められている。原爆が投下された後、臨時救護所で負傷者の応急手当てに使われた旧陸軍の薬箱だ。消毒液が残ったままの瓶もある。

 食糧や燃料の補給を担う「広島兵站部(ひろしまへいたんぶ)」に所属していた故眞田寛一さん=福山市出身=が1974年9月、「隊医きゅう」と呼ばれる行李(こうり)に入れられていた医薬品や医療器具など50点と一緒に、原爆資料館(広島市中区)へ寄贈した。

 衛生曹長だった眞田さんは、駐屯していた山口町(現中区銀山町)で被爆した。爆心地から1・2キロ地点で倒壊した木造家屋の下敷きになり、大けがを負ったが、かろうじて脱出。近くにあった兵站部の車庫から隊医きゅうを二つ担ぎ出し、同僚と共に火の手を逃れ府中町方面へ向かった。

 原爆資料館の担当者が聞き取った記録によると、2人はその後、臨時救護所になった府中国民学校(現府中小)に1週間滞在し、運び出した医薬品を使って約70人の応急手当てに奔走したという。

 薬箱が入れられた隊医きゅうは、布製のバケツ、赤十字旗とともに2017年春まで原爆資料館本館に常設展示され、救護活動の様子を伝えた。(桑島美帆)

(2020年3月23日朝刊掲載)

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