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社説・コラム

社説 大林宣彦監督死去 反戦の思い受け継ごう

 尾道市生まれの大林宣彦監督が82歳で旅立った。映画会社育ちの監督とは違う遊び心のある発想と、斬新な映像表現で多くの名作を生んだ。本人も「アマチュアの映画作家」という肩書を好んで使っていた。

 遺作となった「海辺の映画館―キネマの玉手箱」は、今月10日の公開予定が新型コロナウイルスの影響で先送りとなった。末期の肺がんと闘いながら制作し、戦争や原爆に反対するメッセージを盛り込んでいたという。封切りが待ち遠しい。

 「映画の力で戦争をなくすよう」託された映画の師という黒沢明監督たちと今ごろ、楽しく語り合っていると信じたい。

 大林さんは1960年代にテレビコマーシャルの世界で活動を始めて以来およそ半世紀にわたり、一線で活躍し続けた。

 高度成長期には、ハリウッド俳優を起用した化粧品「マンダム」や、三浦友和さんと山口百恵さんが初共演したお菓子など今なお記憶に残るCMを幾つも手掛けた。才能が認められ、まな娘のアイデアを原案にした「HOUSE ハウス」で商業映画デビュー。話題を呼んだ実験的映像を見れば「映像の魔術師」との評価もうなずけよう。

 生まれ故郷にとっては全国に魅力を発信してくれた恩人でもある。「転校生」「時をかける少女」など尾道を舞台にした3部作は熱心なファンに支持され、ロケ地を訪れる「聖地巡り」の人々を街に呼び込んだ。

 アイドルを起用した娯楽作で青春の輝きや悩みをスクリーンに投じた。一方で、芸術性の高い映画や、各地域の魅力にスポットを当てたものまで幅広いテーマで作り続けてきた。

 作品の背後に見え隠れしていた戦争や原爆と正面から向き合い始めたのは、新潟県長岡市の空襲を取り上げた「この空の花―長岡花火物語」だった。晩年を飾った、戦争反対を訴える3部作の1作目となった。

 長岡市では毎年8月初め、米軍による空襲の犠牲者追悼のため花火を打ち上げている。「空襲を思い出したくない人もいるが、次代に伝えないと再び同じ過ちを繰り返してしまう」。そんな思いを聞いたのが、制作のきっかけになったようだ。

 シナリオができたころ、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が発生。核の被害や戦争を伝えていく使命感を一層かき立てられたに違いない。

 「映画は風化しないジャーナリズム」が持論だった。「眉をひそめたいほど重いテーマや忘れた方が楽だという悲しくつらい出来事も映画で語ると不思議で面白い。だからいつまでも考えられる」。6年前に本紙のインタビューにそう答えている。

 7歳のころ、軍医だった父と広島を訪れ、路面電車の窓から後の原爆ドームの丸い屋根を見た。文明社会の象徴だと思ったが、2週間後に原爆が落とされ破壊の象徴になった。そんな体験から、核のボタンが押されれば人類が滅亡しかねない現状に強い危機感があったのだろう。

 戦争と原爆をテーマにした遺作「海辺の映画館」もその表れではないか。「自分の知る戦争を未来に伝えたいからつくる」と次世代に希望を託していた。

 「映画で過去は変えられないが、未来は変えられる」。映画の力を信じ続けた大林さんの思いを受け継いでいきたい。

(2020年4月14日朝刊掲載)

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