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遺品 無言の証人

[無言の証人] 皮膚に付着した万年筆

べっ甲柄 焦げ跡残す

 キャップに熱線で焼け焦げた跡が残る「パイロット」の万年筆。大やけどを負った川上さんの皮膚にくっついてぶら下がっていたという=1974年、川上鉄夫さん寄贈(撮影・高橋洋史)

 「永久保存をお願いいたします」―。29回目の「原爆の日」を翌日に控えた1974年8月5日。川上鉄夫さん(2004年に92歳で死去)は、共に惨禍を生き延びたべっ甲柄の万年筆を原爆資料館に託した。表面には熱線で焼けた跡も残る。

 当時川上さんは33歳。あの日の朝は、広島市吉島本町(現中区吉島東)の自宅から、上流川町(同胡町)にあった中国新聞社へ通勤途中だった。広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)の裏の道を歩いていると、爆音とともに崩れてきた家屋の下敷きになった。

 爆心地から1・4キロ地点で、着ていた国防服は焼け、皮膚が垂れ下がるほどのやけどを負った。不思議にも、胸ポケットに挿していたこの万年筆は焼失を免れたという。「皮膚の焼けた皮がぶらさがっているところに付着して、これだけが記念として残りました」

 大河地区(現南区)の救護所に収容され、一命を取り留めた川上さんは、妻の懸命の看病を受け、徐々に回復。68年に退職するまで、工務局第二活版部次長などを務めた。

 退職から6年後に寄贈した「記念品」は、原爆資料館の収蔵庫で大切に保管されている。(桑島美帆)

(2020年4月20日朝刊掲載)

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