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社説・コラム

『潮流』 大先輩の日記

■論説主幹 宮崎智三

 外出自粛下、前に読んだ本を再び手にする機会が増えた。かつては気が付かなかったことに目が向くきっかけにもなる。本紙の先輩記者が書いた日記も、その一つ。戦後30年の節目に、1945年の1年分を出版した大佐古一郎著「広島 昭和二十年」である。

 最初に読んだときは原爆の惨状にしか関心が向かなかった。再読すると、8月6日までの記述も示唆に富むことに気付いた。

 戦況が厳しくなるとともに、きなくささが増していく様子が行間からにじむ。

 フィリピン、硫黄島に続く「第3の天王山」と軍が位置付けた沖縄でも敗色濃厚になっている。そんな5月初め、イタリアを率いていたムソリーニの処刑に続き、ナチス・ドイツの指導者ヒトラー自殺の急電が届く。<四囲の情勢はまったく暗い。世界中を敵に回しての本土決戦に勝つ見込みがあるのか>(5月4日)

 統制下、新聞には書けなかった戦争への疑問もつづっている。<無念なことではあるが、一日も早く終戦への道を選ぶべきではあるまいか>(6月26日)

 平穏な暮らしもあった。当直の日に蓄音機でチャイコフスキーの「悲愴交響曲」を聞いたり同僚とビアホールに行き時局を嘆いたり…。戦争中だから緊張の日々に違いない、という思い込みから、かつては拍子抜けした描写だった。

 いや応なしにコロナ禍に巻き込まれた今は分かる。日々の暮らしと並行して、戦争という災禍は進行していったのだ、と。

 この本は今、古本でも結構高値らしいが、一部はNHK広島放送局のホームページに載っている。この本を含めた当時の市民3人の日記を基に、番組を作ったりしているからだ。

 コロナ禍だけに目が向きがちだが、今年は被爆・敗戦から75年の節目。少しでも読めば、それを思い出すきっかけになるはずだ。

(2020年5月9日朝刊掲載)

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