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社説・コラム

『記者縦横』 戦時下の日記から素顔

■報道センター文化担当 西村文

 「私ったらほんとに点取り虫だ」「試験はいやだなー」。記述の所々に顔を出す10代の女の子らしい本音に、思わずほおが緩む。75年前、広島の原爆で亡くなった女子学生河本明子さんがのこした21冊の日記を読んでいる。はるか昔の遠い存在だった少女。ページを繰るごとに、飾らない素顔が浮かび上がってくる。

 文化面の年間企画「平和を奏でる 明子さんのピアノ」の第1部として、遺品のピアノが半世紀以上を経て、美しい音色を取り戻すまでの経緯を紹介した。今は6月の第2部に向け、明子さんに思いを寄せる人々がピアノと一緒に守ってきた日記の取材を進めている。

 米国で生まれた明子さんは広島に帰国後間もなく、6歳で日記を付け始める。「学校でおにごっこをしました」「あいすくりーむをたべました」。日々の様子がほほ笑ましい幼少時代を経て、思春期には母親への反発や同級生へのライバル心をあらわにした記述も。同じ戦時下で心の内を赤裸々につづった「アンネの日記」を連想させる。

 大きな驚きだったのが、当時の広島における音楽教育の水準の高さだ。明子さんは小学生時代には米国人の宣教師からピアノを習い、女学生で結成されたオーケストラにも参加。その後は、東京音楽学校(現東京芸術大)出身の女性ピアノ教師に師事した。

 広島の戦後復興には、音楽が大きな力となったことが知られている。その礎となった人々の存在を、連載を通じて掘り起こしたい。

(2020年5月29日朝刊掲載)

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