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8・6後の通信復旧記録 被爆75年 NTT西・広島支店が冊子発行

残された職員ら奮闘

 NTT西日本広島支店(広島市中区)は被爆75年の節目を前に、旧広島中央電話局などの原爆被害と復興の歩みを紹介する冊子「原爆投下時の電信電話」を発行した。壊滅的な被害を受けながら、翌日から電話回線の復旧工事を始めた奮闘ぶりも記録している。(桑島美帆)

 1955年に当時の中国電気通信局がまとめた「廣島(ひろしま)原爆誌」を基に作成。A4判、12ページのカラー冊子に、被爆前の様子を捉えた古い写真もふんだんに盛り込んでいる。

 45年8月6日朝は、下中町(現中区袋町)の広島中央電話局のほか、広島富国館(現広島フコク生命ビル)内の広島電信局など7カ所に約2千人の職員や動員学徒が出勤していた。そのうち約600人が亡くなったとされる。

 冊子は凄惨(せいさん)を極めた8月6日の電話局の様子を伝える。被爆の翌日には近隣から職員が駆け付けて復旧工事を開始し、8日に東京との通話を再開したことや、焼け跡でケーブルを掘り出すなどして市外電話の通話エリアを広げていった経過も説明する。合わせて、1901(明治34)年に電話交換業務が始まった広島の通信史もひもとく。

 冊子の発行を企画したのは、取締役中国事業本部長兼広島支店長の永野浩介さん(56)。中学の修学旅行で強い印象を受けて以来だった、という広島に4年前着任した。NTT西日本広島支店は毎年の「原爆の日」に慰霊式を開いてきたが、当時を知る人は減っており「時間とともに人々の記憶から消えている」と痛感。「8月6日前後に何があったのかを記録に残す」冊子の作製につなげた。

 巻末には、広島中央電話局跡にある「鎮魂の碑」や、西十日市町(中区)に残る被爆建物の旧広島中央電話局西分局の解説も載せた。19日に退任し、広島を去る永野さんは「一人でも多くの人に史実を知ってもらい、伝える当事者になってほしい」と願う。

 2千部を印刷。「廣島原爆誌」の全ページのデータを合わせて盛り込んだCDも100枚作った。県内の図書館や学校に配る。同支店☎082(226)3710。

(2020年6月8日朝刊掲載)

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