×

ニュース

あの日語る 最後の同期会 爆心地から1キロ 神崎国民学校44年卒業生

 原爆の爆心地から南西約1キロにあった神崎国民学校(広島市中区、現神崎小)を1944年3月に巣立った卒業生が6月2日、同小近くで最後の同期会を開く。学びやも街も原爆で失い、古里を感じられる貴重な機会として毎年開いてきたが、80歳を超えて出席できる人が減ったため、区切りをつける。(有岡英俊)

 最後の同期会は、学校近くの報恩保育園で開く。81歳または82歳になった約20人が集まる。昼食を囲んで思い出を語り合い、校歌も歌う。

 神崎国民学校は、漫画「はだしのゲン」の作者の故中沢啓治さんも通った。原爆で児童1860人のうち140人が亡くなったとされる。

 44年の卒業生の同期会は、神崎小の校舎が完成した翌年の1951年と62年、限られた有志で開いた。暮らしが落ち着いた87年、多田好一さん(81)=中区=を中心に同期生の居場所を人づてに調査。約80人分の名簿をまとめ、3回目の同期会にこぎ着けた。

 この作業で、かつて5学級230人がいた同期生のうち、63人が原爆で亡くなっていたことが分かった。大半は進学先の生徒の一員として、爆心地近くで建物疎開の作業をしていたという。

 多田さんは「生き残って申し訳ない気持ちは今もある。同期会のたび、戦後を懸命に生きた互いをたたえ合ってきたように思う」と振り返る。

 還暦を迎えた91年からは市内のホテルなどで、毎年開くようになった。ピーク時の94年は35人が参加。昨年は16人まで減った。

 世話役の古田幸憲さん(82)=安佐南区=は「体調を崩す人が増えた。原爆ですべて失い、友人との語らいだけが古里を感じる時間だったのに寂しい。よく続けてこられたと声を掛け合い、締めくくりたい」と話している。

(2013年5月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ