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永井博士 病床のエール 母校・松江高宛てに手紙 雲南の記念館に寄贈

 長崎で被爆し被爆者治療に尽力した永井隆博士(1908~51年)が亡くなる約半年前に母校の松江高(現松江北高)新聞部へ送った手紙が、故郷の雲南市三刀屋町にある永井隆記念館に寄贈された。病床から「あたらしい人物はあたらしい学園から生まれます」と後輩を激励している。

 当時、新聞部2年で編集委員長だった高橋正立さん(80)=大阪府交野市=が自宅に保存していた。50年秋に学校新聞「松高新聞」へ寄稿を依頼した際の返信という。

 便箋1枚に毛筆で書かれている。前身の旧制松江中を卒業した永井博士は「(戦後の学制改革で創設された)御校の卒業生ではない」として寄稿を断り、「古く過っていた過去を切離(きりはな)した君たちだ。独往し給(たま)え」と締めくくっている。

 新聞部は50年12月8日付の紙面に「独立し給え 病床の永井博士から便り」の見出しで全文を掲載した。永井博士は翌年5月1日に白血病で亡くなった。

 高橋さんは「訃報を聞いて『やはり』と思った。戦時中の軍国主義教育を捨て、若者に自ら未来を切り開いてほしいという前向きな思いに励まされた」と振り返る。後世に貴重な資料を伝えたいと、手紙と封筒、掲載された学校新聞を24日に記念館へ送った。記念館で近く展示する。(川上裕)

(2013年5月31日朝刊掲載)

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