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社説・コラム

社説 沖縄慰霊の日 今に続く痛み忘れまい

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍が組織的な戦闘を終えた日から75年になる。

 本土決戦を先延ばしにするための「捨て石作戦」と呼ばれた地上戦では、3カ月で日米双方の約20万人が命を落とした。犠牲になった沖縄県民は4人に1人に上る。慰霊の日のきょう、想像を絶する悲惨をあらためて胸に刻まなければならない。

 沖縄戦の体験を語れる人がますます少なくなる中、75年の節目は記憶を受け継ぐ貴重な機会である。新型コロナウイルスの感染を防ぐため沖縄全戦没者追悼式はきょう、縮小して開かれる。集うことは難しくても、無念の死を遂げた人たちを悼み、沖縄のいまに思いを致す時間にしたい。

 沖縄の苦しみは過去のものではない。日本の主権回復後も沖縄は米国の施政権下に置かれ、強制的な土地収用で米軍基地が次々と造られた。今も沖縄では国土面積のわずか0・6%の小さな島に、在日米軍専用施設面積の約7割が集中している。そんな歴史も含め、考える日でなければなるまい。

 きょうは現行の日米安全保障条約が発効して60年という節目の日でもある。1960年に改定された同条約で、日本は冷戦下にソ連を封じ込める防波堤の役割を求められた。冷戦終結後も、日米同盟は日本の外交・安保政策の基軸とされてきた。

 その「要石」として負担を押しつけられてきたのが沖縄である。米軍基地があることで米国の戦争に巻き込まれ、事件事故も絶えない。県民は命の危険と隣り合わせで暮らしている。

 そんな中、「自国第一主義」を掲げるトランプ米大統領は、現行の安保条約を米側だけが防衛義務を負う「不平等条約」だと批判し、巨額の米国製防衛装備品の購入や米軍の駐留経費負担増を要求している。

 冷戦が終わり、国際秩序が変容する中で日本はどんな役割を果たすのか。政府は安保の60年を検証し、米国との関係も見直していくべきではないか。

 その一つが、名護市辺野古で進める新基地建設だろう。今月7日に投開票された県議選でも反対派が過半数を維持した。繰り返し民意が示されているにもかかわらず、政府はそれを押し切って普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として、建設工事を強行している。

 埋め立て予定海域にある軟弱地盤を改良する工事のため、当初想定した以上の巨額の工費と工期がかかる見込みだ。しかもそれで本当に完成するのか見通せない。

 県が設置した有識者会議は、最新のアジア太平洋地域の安保環境を分析した上で、日米両政府に、変化を踏まえた基地の分散や整理縮小を提言している。政府は山口、秋田両県で進めてきた地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」について、安全面の問題を理由に、配備計画を停止した。辺野古の計画も中止すべきだ。

 玉城デニー知事は対話による解決を政府に求めている。基地問題解決の糸口を探るためにも政府には、早急にテーブルに着いてもらいたい。75年前の悲惨とその後の沖縄の歩みに謙虚に向き合ってほしい。本土に暮らす私たちも、沖縄の歴史と、今も続く「痛み」をわがこととして捉えなくてはならない。

(2020年6月23日朝刊掲載)

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