×

ニュース

似島が伝える原爆の惨禍 投下直後に負傷者収容 遺骨発掘や証言

 広島、山口両県のアマチュア映像作家グループ「広島エイト倶楽部(くらぶ)」会員の松田治三さん(76)=広島市東区=が、被爆した人々が運び込まれた似島(南区)の歴史をたどる作品を作った。亡くなった会員が撮った遺骨発掘調査の映像を柱に被爆者の証言を交え、悲惨な被害を語り継ぐ。(桑田勇樹)

 作品は「広島原爆の惨禍―もう一つの証言映像」(18分10秒)。1971年の発掘調査で地中から遺骨を取り出す場面を、2001年に90歳で亡くなった被爆者の中畝健雄さんの作品「島は知っている」から引用した。新たに弾薬庫に通じるトンネルなど今も残る旧陸軍施設を撮影し、似島を解説する語りを付けた。

 被爆後、似島で治療を受けた県被団協の坪井直理事長(88)が「隣の人がどんどん死んでいき、今度は俺の番と思う人間ばかりだった」などと証言するインタビューも収めた。

 倶楽部の佐々木博光会長(78)=安佐南区=が中畝さんの作品をデジタル化し、原爆資料館(中区)に寄贈するのに合わせて制作。そのデータを基に、松田さんは似島に2年間にわたって通い、今の映像を加えて新たな作品を仕上げた。「生々しい映像と、今だから聞ける証言を残し、似島を語り継ぎたかった」と話す。

 生前は中畝さんと同居していた娘婿の忠男さん(66)=中区=は「父は行方の分からなくなっていた祖父の遺骨が見つかるかもしれないと思い、似島の発掘調査に通い続けたのだと思う。作品が生き返ったようで、父も喜ぶはず」と感謝する。

 作品は10月20日午後1時、市西区民文化センターで上映する。無料。倶楽部のホームページでも公開する予定だ。

似島
 1904年に始まった日露戦争中に旧日本陸軍の第二検疫所が置かれ、45年8月6日の原爆投下直後、負傷者を収容する臨時野戦病院となった。同25日までに推定1万人が運ばれ、犠牲者の遺体は島内に埋められたとされる。71年に広島市が実施した発掘調査で617人分の遺骨、2004年の調査では85人分の遺骨が見つかった。

(2013年5月31日朝刊掲載)

年別アーカイブ