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社説・コラム

『書評』 未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011―2016 岡村幸宣著

命への想像力広げる場

 原爆の図丸木美術館は埼玉県東松山市の自然豊かな川辺に立つ。広島市出身の丸木位里が妻の俊と共同制作した「原爆の図」を公開するため、半世紀余り前に開いた。被爆の惨状を伝える連作を常設する一方、近年では、気鋭のアーティストたちによる発表の場としても注目を集めている。

 交通の便はよいとはいえず、世を去った夫妻の新作が見られるわけでもない。それでもこの小さな美術館に多くの人が引きつけられるのはなぜだろう―。広島から再々足を運ぶ一人として、ずっと考えてきた。

 その答えは本書に得られる。著者は、2001年からここで働くたった1人の学芸員。11年3月11日から5年間の出来事や胸の内を、「作業日誌」というスタイルでつづっている。美術館とのなれそめをプロローグに、東日本大震災で足元が揺らぐ場面から、日誌は始まる。

 大震災と福島第1原発事故は、それまでの日常を一変させた。と同時に「原爆の図」と現代の連続性に、多くの人が気付かされる一つの転機でもあったのだろう。核による命の危機が、「原爆の図」をわがことに引き寄せた。それを収める美術館もまた、新たな出合いと広がりを経験していくことになった。

 原爆とは遠く隔たっているかに思える若手芸術家たちによる企画展、原爆投下国の米国で実現させた「原爆の図」巡回展…。著者は、それぞれに丸木夫妻の作品と向き合う人たちと対話を重ね、「現代には現代の、『原爆の図』の意味と役割がある」ことを見つめ直していく―。ページをめくりながら、伴走している気分になる。

 75年前の悲惨を描いた「原爆の図」は、被爆当日は広島にいなかった丸木夫妻が被爆者の痛みに寄り添い、生み出した絵画である。過去の記憶でありながら時空を超え、他者の命への想像力を広げてくれる。そんな夫妻の仕事を伝える小さな美術館は、未来への可能性にあふれた場なのだ。(森田裕美・論説委員)

新宿書房・2640円

(2020年5月31日朝刊掲載)

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