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社説・コラム

『この人』 平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 松木俊伸さん

 被爆75年の節目の原爆の日、広島市の平和記念式典で「平和の鐘」を鳴らす。大役が決まり「平和の尊さを次の世代に語り継ぎたい」との思いを強める。

 あの日、祖母の通子さん(80歳で死去)と1歳8カ月だった父の丈夫さん(76)は、爆心地から約5・0キロにあった元宇品町(現南区)の自宅で被爆した。通子さんは生前、「むごくて思い出したくない」と詳しく語ってはくれなかったが、体験を数枚の紙にしたためていた。

 家族のために残してくれていた紙を、学生の時、両親から渡されて初めて読んだ。「熱線で溶けた皮膚を指先から垂らして歩く人たち…」。被爆直後の様子は「地獄図」と表現し、少し触れていただけだった。

 遺族代表の推薦を受け、自宅で保管していた手記を何度も読み返した。「あらためて、祖母の苦しみが伝わってきた。『戦争を二度と繰り返してはならない』と子どもたちに伝えるのが私の使命だ」と決意した。

 西区の建設会社で現場監督を務めている。2018年7月の西日本豪雨で被災した呉市の天応地区で昨年4月から、砂防ダムの建設に携わる。自然の脅威を感じる一方で、「人間が生み出した核兵器だからこそ手放すことはできるし、無くさなければならない」と感じている。

 今年の式典は新型コロナウイルスの影響で、参列者数を例年の10分の1に制限するなど、様相を大きく変える。「コロナ禍でも、慰霊と平和への思いを新たにする時間が持てることに感謝しながら役目を果たす」と誓う。南区で妻(44)、長女(16)、長男(9)の4人で暮らす。(新山京子)

(2020年7月13日朝刊掲載)

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