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社説・コラム

『潮流』 悲劇のエンジン

■呉支社編集部長 道面雅量

 「奇跡のエンジン」は、やがて「悲劇のエンジン」と呼ばれるようになった。太平洋戦争の後期、旧日本軍の戦闘機に搭載された「誉(ほまれ)」。呉市の大和ミュージアムの企画展に今、同市広地区で出土したエンジンの中央部が出展されている。誉を生産していた第11海軍航空廠(しょう)の跡地にある米陸軍広弾薬庫の敷地で見つかった実物だ。

 小型、軽量ながら試作品は2千馬力をたたき出し、当時、世界的にも群を抜く高性能だった。軍部の期待は膨らみ、「紫電改」「銀河」などの新鋭機にこぞって採用された。ところが、芸術品にもなぞらえられた精細極まる造りが、あだとなっていく。

 実戦投入が本格化する1944年には戦況は悪化し、物資が不足。調達できる燃料や素材の金属の質は低下し、熟練工も戦地に取られた。量産品はトラブル続きで設計上の性能とは遠く、膨大な損失を招いたという。「奇跡」が「悲劇」に転じたいきさつだ。

 ある意味で、ドラマチックなエンジンである。大和ミュージアムでの公開予定を5月末に報じた際は、ネットの記事に500件近いコメントが寄せられるなど反響が大きかった。ただ、誉に関する著書のある元航空エンジン技術者でノンフィクション作家の前間孝則さんは「ドラマ性だけでなく、歴史的教訓にも注目してほしい」と強調する。

 「奇跡」の名に寄りかかった希望的観測、トップの長期的な危機管理や責任意識の欠如、現場の声の軽視による方向転換の遅れ…。前間さんは「日本は誉の悲劇を克服できたのか」と問い、原発の「安全神話」に寄りかかって福島の事故を招いたことを挙げる。

 果たして現在進行形のものはないだろうか。「夢の超特急」リニア中央新幹線、米軍普天間基地移設の「唯一の選択肢」辺野古など、心して注視したい。

(2020年7月14日朝刊掲載)

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