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連載・特集

被爆75年 全国被爆者団体アンケート 伝える役割 つなぎたい

 中国新聞社が被爆75年に合わせて各都道府県の被爆者団体と中国地方5県の地域組織を対象に実施し、19日に結果をまとめたアンケート。105団体の回答からは、被爆の記憶を伝え、核兵器廃絶を訴える取り組みを各地で続けようとする一方、会員の高齢化が一層進み、5年後の展望を描きにくい実情が浮き彫りになった。私たちを最後の被爆者に―。その訴えと運動を次代につなげられるのか。被爆者運動は今、岐路を迎えている。(久保田剛、明知隼二、宮野史康)

定期的活動「できている」76%

 被爆者運動は、日本被団協を構成する都道府県組織や、各地の地域組織が支えてきた。回答した105団体のうち、定期的な活動が「できている」のは76.2%の80団体だった。

 80団体の具体的な活動内容(複数回答)は、総会などの「定例会議」が87.5%で最多。「会員の健康と親睦の維持」「核兵器廃絶に向けた署名集めなどの運動」が各72.5%で続く。

 その後は「学校や地域での証言活動」67.5%、「慰霊碑の維持や慰霊祭の実施」66.3%、「被爆2世との連携と支援」60.0%の順だった。原爆の恐ろしさと核兵器廃絶の願いを次の世代に受け継いでいくため、地道な活動を続けている実態がうかがえる。

 「できていない」と答えたのは23.8%の25団体。その理由(複数回答)は「会員の高齢化」が92.0%と圧倒的に多かった。次は「被爆者以外の担い手の不足」で56.0%だった。

継続見込み 半数止まり 「内外に2世組織ある」44%

 組織の今後と被爆2世の組織化について、被爆70年の2015年以降、継続して尋ねている。西日本豪雨でアンケートを見送った18年を除く結果を分析すると、高齢化が進む中、核兵器廃絶を訴え続けていく難しさが浮かび上がる。

 今回、組織の今後についての考えでは「2世や遺族たちを団体に加えて存続させる」が43団体(41・0%)で最多だった。ただ、ピークの17年は59団体(54・6%)と半数を超えており、減少が続いている。

 「別の組織に活動を引き継ぐ」としたのは、11団体(10・5%)だった。両者を合わせても51・4%で、活動の継続を見込んでいるのはほぼ半数にとどまる。

 「会員の被爆者がいなくなれば解散・消滅させる」は28団体(26・7%)だった。15年の43団体(35・5%)と比べて大きく減ったのは、解散・消滅が進んだ結果とみられる。19年の20団体(20・2%)との比較では8団体増えており、厳しい基調は変わらない。

 「その他」を選び「現在議論中」(千葉県原爆被爆者友愛会)、「消滅させることは考えていないが、形ははっきりはしていない」(下関原爆被害者の会)と記述した団体もあった。後世に活動を引き継ぐために苦悩する姿が浮かぶ。

 被爆者の思いを受け継ぐ被爆2世を巡り、団体の内外に組織が「ある」としたのは47団体(44・8%)、「ない」としたのは55団体(52・4%)だった。「ない」の55団体のうち、5団体が「つくる予定がある」と説明する一方、23団体が「つくりたいが担い手がいない」という切実な状況にある。

15団体が解散・統合予定

 現時点で解散や統合の予定があるかどうかを聞いたところ、15団体(14・3%)が「ある」を選んだ。10団体(10・1%)だった2019年を上回った。

 あると答えた団体には、時期を記述してもらった。本郷原爆被害者友の会(三原市)や鹿児島県原爆被爆者協議会など4団体は「未定」、三次市の三和町原爆被害者の会は「貯金が尽きるまで」と書き込んだ。

 ほかに「1、2年先」などの回答もあった。やむなく解散する方向であったとしても、具体的な見通しは立たない実情が透ける。

 「ない」と答えたのは89団体(84・8%)だった。ただし、このうち25団体は別の設問で「5年後の活動継続は難しい」を選択しており、何とか活動を維持したいとの思いがにじんだ。

核兵器禁止条約の署名・批准 「平和宣言で要求を」95%

 核兵器禁止条約を巡り、広島市の松井一実市長が8月6日の平和記念式典で読み上げる平和宣言で、署名・批准を日本政府に求めるべきだと思うかどうかを尋ねた。95・2%の100団体は「思う」を選択。条約を核兵器廃絶の大きなよりどころとして、松井市長に踏み込んだ発信を願う被爆者の強い思いを裏付けた。

 条約は2017年7月に国連で採択された。「思う」を選んだ理由の記述で、広島県被団協(坪井直理事長)は「核兵器の廃絶を求めているのだから当然」と強調。福井県被団協は「広島の代表が求めれば少なからず効力がある」と被爆地の役割を説いた。

 「思わない」としたのは2・9%の3団体だった。倉橋町原爆被害者の会(呉市)は「政府が無関心」であることを理由に挙げた。

コロナ 伝承活動に支障 感染予防で会合回避も

 1月に国内で初めて感染者が確認され、今月に入って感染が再拡大している新型コロナウイルス。活動に与える影響について、82・9%の87団体が「ある」と回答した。

 被爆者は、重症化リスクが高いとされる高齢者。このため、感染予防を目的に定期総会などの会合を避ける団体が目立つ。被爆体験の証言など伝承活動にも支障をきたしている。

 具体的な影響として、今年の原爆の日に解散を決めていた向原町原爆被害者友の会(安芸高田市)は、最後の活動となるはずだった当日の追悼式を中止した。周南市被爆者の会は「学校などでの語り部活動が難しい」と困惑した。

 感染者数が多い首都圏では、千葉県原爆被爆者友愛会が「総会を書面決議にした。被爆者の証言活動が全くできない」と訴えた。北海道被爆者協会は「ノーモア・ヒバクシャ会館(原爆資料展示館)の見学者がめっきり減った。被爆証言の希望者も減っている」と明かす。

 「ない」は15・2%の16団体。君田原爆被爆者友の会(三次市)が「活動ができていない」とするなど、コロナ禍とは関係なく活動が低調になっているとの報告が目立った。

広島県北広島町 高齢化 役員なり手不足

広島県坂町 2世が新団体「次代へ」

 「解散や統合を考えなければいけない時期だ」。山あいの広島県北広島町。町原爆被害者連合会大朝支部の副支部長三浦千代子さん(88)=同町宮迫=が表情を曇らせた。支部長の不在がもう1年4カ月ほど続いている。

 旧大朝町など4町が2005年に合併した北広島町。当時は支部の会員が約100人を数えたが、現在は半分の49人に減った。さらに昨年春、長く活動を引っ張ってきた石川冨士雄支部長=当時(89)=が死去。三浦さんは、被爆者では「若手」となる70代男性に後任を打診したが、断られた。

 支部の会計や監査の担当者も90歳前後と老いを重ねた。「私もいつまで動けるかねえ。早く支部長を選び、今後の方向性を決めたいけれど…」。15人ほどの地区委員も近年はなり手がおらず、一部の地域では三浦さんが車を運転して資料を配るなどしている。

 旧町単位で四つの被爆者団体がある北広島町。5年後も活動を継続できるか、中国新聞社がアンケートで問うと、全4団体が「できない」と回答した。近年は一つに統合する案も浮上している。

 三浦さんは13歳で被爆した。両親と兄を亡くし、幼かった弟の1人も片目を失明した。多くの負傷者が運ばれた緑井国民学校では、約3週間看病した父親をみとった。負傷した兵隊がうなされ、背中にウジ虫がびっしりと張り付いた光景を今も忘れられない。「あの惨状を二度と繰り返させないためにも、地道な被爆者運動を続けていくべきだ」

 慰霊の催しや核兵器廃絶に向けた署名集めなど、被爆者の活動は多岐にわたる。しかし、全国を先導するはずの被爆地、広島でも環境は厳しくなっている。

 被爆75年の今年、安芸高田市向原町の町原爆被害者友の会は8月6日に解散する。広島県世羅町の甲山原爆被害者協議会も今月内でなくなる。理由はいずれも会員の高齢化や減少だ。

 一方で、解散を決めた被爆者団体を引き継ぎ、被爆2世たちが新団体を設けたケースがある。広島県坂町の坂町原爆被害者友の会。18年夏に解散した「町原爆被害者の会」の被爆者たちに新たな会員を加え、昨年9月に誕生した。

 発足を働き掛けた被爆2世の会長池田節男さん(71)=同町横浜中央=は「若い世代を巻き込みたい」と力を込める。町内の小中学校に平和学習の充実を提案。被爆者を派遣し、自身は平和記念公園(広島市中区)の碑巡りの案内役をするつもりでいる。

 被害者の会などは1995年、同町の北新地運動公園に追悼碑を建立。毎年8月6日、慰霊祭を営んできた。高齢で会場に行けなくなった被爆者の「慰霊祭をずっと続けてほしい」との声に突き動かされ、池田さんは未来を見据える。

 「もう被爆者だけに頼るのは限界だ。核兵器廃絶、平和の大切さをこつこつと訴える幅広い平和運動を担う仲間を増やし、次代につなげていきたい」

 
広島「二つの県被団協」

分裂から50年以上 再統合は否定

核兵器廃絶署名では協力

 都道府県の被爆者団体や各地の地域組織による被爆者運動が岐路を迎える中、足元の広島県では、同名の二つの県被団協が並立するいびつな状況が50年以上にわたって続いている。核兵器廃絶を訴える署名活動では協力しているが、分裂に至った経緯のしこりは根深く、組織としての再統合は明確に否定されている。

 県被団協は、広島市で第1回原水爆禁止世界大会が開かれた翌年の1956年5月27日に発足した。結成総会には県内各地から100人以上が集結。被爆者同士が助け合い、被爆者援護と原水爆禁止を両輪として運動を進めると誓った。まだ被爆者団体のなかった地域でも、組織づくりが進められた。

 原水禁運動はその後、旧ソ連の核実験などを巡る路線対立から分裂した。県被団協も64年から同名の別団体として活動しており、現在はそれぞれ、坪井直氏(95)と佐久間邦彦氏(75)が理事長を務める。

 二つの県被団協は、2016年に日本被団協が提唱して始まったヒバクシャ国際署名などの活動では、分裂の経緯を超えて協力している。一方、佐久間氏が18年6月、会員の高齢化を背景に「私見」として組織の再統合の可能性に触れた際には、坪井氏の代行を務めている箕牧(みまき)智之氏(78)が「過去の歴史がある」などとして統合を明確に否定した。

 山口県では64年、県原水協から分裂して県原水禁が発足したが、両団体は「被爆者の救援運動については統一行動を取る」と申し合わせた。この理念はその後も引き継がれ、後に「山口方式」と呼ばれている。

 被爆75年を迎えて各団体の活動が細る中、九州の被爆者団体の幹部は「被爆県の広島の団体こそ、より力を結集して運動を引っ張ってほしい」と願っている。

(2020年7月20日朝刊掲載)

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