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社説・コラム

社説 米国の核実験75年 大統領の称賛 許されぬ

 米国が人類史上初の核実験をニューメキシコ州アラモゴード近郊で実施して、今月で75年になった。トランプ大統領は「素晴らしい偉業だ」とたたえる声明を発表した。

 広島と長崎の街を焼き尽くし、老若男女の命を無差別に奪った原爆につながった核実験である。強い怒りや抗議の声が被爆者たちから上がるのも、当然だろう。

 声明は「第2次大戦の終結を促し、世界の安定、科学の革新、経済的繁栄の時代を切り開いた」と核実験を称賛している。あきれるほど、おそまつな歴史認識と言わざるを得ない。

 当時、日本は太平洋各地に展開していた軍事拠点をことごとく失い、沖縄戦にも敗れた。水面下でソ連を通じて和平の道を探るなど、政府も敗戦は見通していたようだ。原爆を広島、長崎に投下しなくても、降伏は時間の問題だったと言えよう。

 降伏を決断した背景には、中立条約を結んでいたソ連による対日宣戦布告と満州侵攻があり、2発目の原爆投下よりも影響は大きかった。そう指摘する歴史研究者は多い。

 核兵器の開発は、トランプ氏の言うように世界の安定に寄与したのだろうか。大戦後、ソ連が開発に乗り出し、2番目の保有国となった。さらに英国やフランス、中国と保有国は増加。今は9カ国に上っている。

 米ソによる東西冷戦で軍拡競争が熱を帯び、核兵器はピーク時には約7万発も地球上に存在した。人類を何回も滅亡させられる数である。冷戦終結などで今は約1万3400発まで減ったが、なお人類を複数回滅亡させることができるという。

 世界を不安定にしているのは核軍拡競争であり、廃絶に向けた核軍縮交渉こそ、人類の平和共存への道を開くはずだ。

 核兵器が存在し、実戦配備されている限り、アクシデントなどで核戦争が起きる恐れは消えない。3年前に亡くなったスタニスラフ・ペトロフ元ソ連軍中佐を思い出したい。1983年に「ミサイル発射」警報をシステムの誤作動と見抜いて「報復攻撃」を回避。「世界を破滅から救った男」と評価された。

 人類と共存できない核兵器はなくすしかない。そんな被爆地の思いを形にした核兵器禁止条約が国連で採択され、今月で3年になった。あと10カ国・地域が批准すれば発効する。

 核兵器使用は国際法や人道法に「一般的に反する」との国際司法裁判所(ICJ)による96年の勧告的意見をさらに進めたのが禁止条約だ。発効すれば核兵器の使用や威嚇はもちろん、保有まで法的に禁じられる。そっぽを向く保有国や「核の傘」の下の国々も無視はできまい。

 核実験を巡る声明でトランプ氏は、ロシアと中国に新たな軍縮・軍備管理の枠組みづくりへの協力を呼び掛けた。どこまで本気かは疑わしいものの、方向性は評価できる。保有国の重い腰を上げさせるには、国際社会の連携が鍵になる。人類が存続するため、核軍縮に真剣に取り組むよう、全ての保有国に訴えなければならない。

 その先頭に日本が立つよう、広島市長は今年こそ、平和宣言で禁止条約への署名・批准を政府に強く求めるべきである。そうしてこそ、被爆地の重責を果たすことにもつながる。

(2020年7月24日朝刊掲載)

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