×

社説・コラム

天風録 『「マルレ」の少年兵たち』

 これが私の終(つい)の命を託する兵器なのか―。島尾敏雄の自伝的小説「魚雷艇学生」の一節。南海の奄美で海軍特攻艇の隊長だった戦争末期、ペンキの緑も色あせた小舟の揺れる姿を、後の作家は嘆いた▲同じ特攻艇を海軍は「震洋」、陸軍は敵を欺く符丁で「マルレ」と呼んだ。ともに爆雷を積んで敵艦船に迫り、投下して反転する作戦を編み出す。かつての少年兵たちに聞いたことがある。必ずしも死ぬわけではない―と訓練で告げられたが、それを信じる者はいなかったという▲きのうの本紙お悔やみ欄に、マルレの文字を見つけた。広島市の理容師和田功(いさお)さん、94歳を一期として▲75年前、江田島の幸ノ浦(こうのうら)で訓練に従う少年兵だった。あの日、広島へ出動命令が下り、上陸するや、地獄を見る。「これが本当の戦争なのだ/ただ、残酷、むごいの一言である」と手記に。その体験を文章に残し、晩年まで証言した志に頭が下がる▲島尾は出撃せず終戦を迎えた。「本土決戦」に投じられるはずだった、和田さんのようなマルレの兵も復員する。だが、家族を原爆や空襲に奪われた少年が少なからずいた。その負い目を抱えて生きた戦後に、思いを巡らせる夏でもある。

(2020年7月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ