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社説・コラム

『潮流』 「黒い雨」判決は問う

■論説主幹 宮崎智三

 大火災では、強い上昇気流が生じて上空に多量の雨粒ができ、雷雨が発生することがある。原爆の場合、格段にスケールが大きかった…。

 自身も被爆者で、気象台の技手だった北勲さん(2001年に死去)が、広範囲に大量の雨を降らせた「黒い雨」について、「広島原爆戦災誌」にそう記している。

 北さんと黒い雨との関わりは深い。終戦直後、原爆被害を調べる学術会議のメンバーに気象担当として加わり、住民への聞き取りなどをした。結果は、「黒い雨」が降ったエリアとしてまとめられ、国の援護対象区域として使われている。

 その線引きが妥当かどうかが争点となった「黒い雨」を巡る全国初の訴訟で、判決が出た。妥当ではないが、広島地裁の判断だった。限られた資料を基に目安を示すため作成されたにすぎない、というのだ。

 そう断じた判決は、北さんの記した言葉を引用している。<非常に不確実な少ない材料で意見を戦わせながら線を引いていった。その当時から暫定的という感じは持っていた>

 責められるべきは、北さんたちではない。何度も見直しのきっかけがあったのに、根拠の乏しい線引きにあぐらをかいてきた国だろう。

 10年前、広島市は専門家の協力を得て、降雨地域は国指定区域の約6倍という調査をまとめた。線引き見直しを求めたが、国ははねつけた。

 被爆から60年以上すぎた住民アンケートの結果に疑義を示すなど、国は無理難題を吹っ掛けているようだった。判決のように、今の線引きと新たに得られた知見を比べ、どちらが科学的に信頼できるか、判断するだけでよかったはずなのに。

 失われたこの10年だけでも、亡くなった関係者は多い。国の不誠実さの犠牲となったように思える。

 今度こそ線引きを見直せるのか。判決は国の姿勢を問うている。

(2020年8月1日朝刊掲載)

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