[インサイド] 国負担 どこまで 官邸関心か 県検討に影響 旧陸軍被服支廠
20年8月3日
「旧陸軍被服支廠」を巡り、自民党の被爆者救済と核兵器廃絶推進議員連盟が、広島県所有の3棟を保存する案を打ち出した。県選出の国会議員たちが政治主導でまとめ、首相官邸も関心を示しているとされる。巨大な「もの言わぬ証人」の行方は被爆75年に定まるのか。多額の保存費用を国がどれだけ負担するかが、県の検討に影響しそうだ。
「あらためて原点から考えてみたいというのが知事の話だった。財政の問題もあろうから、価値を損なわない形で残せるだけ残してほしい」。議連会長の河村建夫氏(山口3区)は31日、県庁で湯崎英彦知事と県議会の中本隆志議長と相次いで会談した後の記者会見で、こう指摘した。
首相答弁を念頭
広島、長崎県選出の国会議員を含む22人が名を連ねる議連。保存を求める動きが表面化したのは昨年12月だった。全4棟のうち、県が所有する3棟について「2棟解体、1棟の外観保存」とする安全対策の原案を公表したのに反応した。
2棟解体に異を唱えたのは、広島県選出で代表世話人の寺田稔氏(広島5区)と事務局長の平口洋氏(広島2区)だった。被爆建物としての価値の高さを理由に挙げた。両氏は河村氏や長崎県の国会議員を引き連れ、今年2月に現地を視察。3月に相当数の保存を決議し、6月には「30億円かけて3棟保存」とする議連案をまとめた。
複数の関係者によると、この案づくりには首相官邸の意向が働いた。議連メンバーが6月25日、西村明宏官房副長官と面会する直前に、保存費用を示すよう求められたという。
議連の幹部は「すぐの話にならないにせよ、官邸は将来的な予算計上を視野に入れている」とみる。安倍晋三首相が1月の衆院本会議で「唯一の戦争被爆国として、世代、国境を超えて被爆の実態を承継していく務めがある」と答弁したのも念頭に、今回の県、県議会への提案を「空手形」に終わらせないとの意気込みを示す。
被服支廠の存廃議論は、多額の保存費用がネックになってきた。県の2017年度の調査では、1棟全体を耐震化した上で内部を使うには33億円が必要と見積もった。3棟を保存、活用するには約100億円かかるだけに、県庁内では「2棟解体」案を見直して保存にかじを切る場合、「県の財源だけではとても無理」との声が大勢を占める。
議連は30億円はあくまで公費で負担する事業費と説明。内部を使うかどうかなどで費用は変わってくるとした上で、公費以外の財源もインターネット上で寄付を募るクラウドファンディング(CF)や外部基金でも上積めると見通す。
「財源の確約を」
ただ、この日の湯崎知事への申し入れでは具体的な財源の話をしなかった。ある県幹部は「正直、ほしいのは国による財源の拠出の確約だ」と明かす。
湯崎知事は、議連の申し入れを参考にするとしつつ「国は4号棟の所有者。当事者として責任ある立場で検討に加わってほしい」と注文した。中本議長は「途中で意見を言われると混乱する。地元の議論を見守ってほしい」と語った。
市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の顧問で、元原爆資料館館長の原田浩さん(81)=広島市安佐南区=は「3棟保存を主張する市も巻き込み、国、県、市の3者の協調で『被爆の生き証人』を後世に残す知恵を絞ってほしい」と期待している。(樋口浩二、河野揚)
<旧陸軍被服支廠を巡る主な動き>
1913年 旧陸軍の軍服や軍靴の製造を開始
45年 原爆投下後、被爆者の臨時救護所となる
46年ごろ 広島高等師範学校(現広島大)が校舎の一部として利用
52年 広島県が現存する全4棟のうち3棟を国から取得
56年ごろ 民間企業が1~3号棟を倉庫として利用。広島大が4号棟を学生
寮として利用
92年 県が現地で建物の強度を調査
93年 広島市が被爆建物に登録
95年ごろ 倉庫の利用が中止され、学生寮も閉鎖
96年 県が「瀬戸内海文化博物館」(仮称)としての活用を見据え、耐
震性を調査。耐震化費用を21億円と試算
98年 県が「瀬戸内海文化博物館」構想を休止
2000年 県がロシア・エルミタージュ美術館の分館誘致の検討を開始
06年 県が分館誘致を断念
17年8月 県が改めて耐震性調査を開始
18年12月 県が被爆証言を聞く建屋を新設する方針を公表
19年2月 県議会最大会派の指摘で県が方針を撤回。まず1~3号棟の保存
の方向性を整理する方向に転換
9月 県が地震に備えた安全対策に20年度に着手する方針表明
10月 県が耐震化や外観保存、解体などの6案を公表。概算費用は4億
5千万円から84億円
12月 県が1号棟を外観保存し、2、3号棟を解体する案を公表
20年2月 県議会の要望などを受け、20年度の解体着手を先送りする方針
を公表
6月 自民党の「被爆者救済と核兵器廃絶推進議連」が3棟を30億円
で保存する案を取りまとめ、首相官邸に申し入れ
7月31日 自民党議連が「相当数の保存」を県と県議会に申し入れ
(2020年8月1日朝刊掲載)
「あらためて原点から考えてみたいというのが知事の話だった。財政の問題もあろうから、価値を損なわない形で残せるだけ残してほしい」。議連会長の河村建夫氏(山口3区)は31日、県庁で湯崎英彦知事と県議会の中本隆志議長と相次いで会談した後の記者会見で、こう指摘した。
首相答弁を念頭
広島、長崎県選出の国会議員を含む22人が名を連ねる議連。保存を求める動きが表面化したのは昨年12月だった。全4棟のうち、県が所有する3棟について「2棟解体、1棟の外観保存」とする安全対策の原案を公表したのに反応した。
2棟解体に異を唱えたのは、広島県選出で代表世話人の寺田稔氏(広島5区)と事務局長の平口洋氏(広島2区)だった。被爆建物としての価値の高さを理由に挙げた。両氏は河村氏や長崎県の国会議員を引き連れ、今年2月に現地を視察。3月に相当数の保存を決議し、6月には「30億円かけて3棟保存」とする議連案をまとめた。
複数の関係者によると、この案づくりには首相官邸の意向が働いた。議連メンバーが6月25日、西村明宏官房副長官と面会する直前に、保存費用を示すよう求められたという。
議連の幹部は「すぐの話にならないにせよ、官邸は将来的な予算計上を視野に入れている」とみる。安倍晋三首相が1月の衆院本会議で「唯一の戦争被爆国として、世代、国境を超えて被爆の実態を承継していく務めがある」と答弁したのも念頭に、今回の県、県議会への提案を「空手形」に終わらせないとの意気込みを示す。
被服支廠の存廃議論は、多額の保存費用がネックになってきた。県の2017年度の調査では、1棟全体を耐震化した上で内部を使うには33億円が必要と見積もった。3棟を保存、活用するには約100億円かかるだけに、県庁内では「2棟解体」案を見直して保存にかじを切る場合、「県の財源だけではとても無理」との声が大勢を占める。
議連は30億円はあくまで公費で負担する事業費と説明。内部を使うかどうかなどで費用は変わってくるとした上で、公費以外の財源もインターネット上で寄付を募るクラウドファンディング(CF)や外部基金でも上積めると見通す。
「財源の確約を」
ただ、この日の湯崎知事への申し入れでは具体的な財源の話をしなかった。ある県幹部は「正直、ほしいのは国による財源の拠出の確約だ」と明かす。
湯崎知事は、議連の申し入れを参考にするとしつつ「国は4号棟の所有者。当事者として責任ある立場で検討に加わってほしい」と注文した。中本議長は「途中で意見を言われると混乱する。地元の議論を見守ってほしい」と語った。
市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の顧問で、元原爆資料館館長の原田浩さん(81)=広島市安佐南区=は「3棟保存を主張する市も巻き込み、国、県、市の3者の協調で『被爆の生き証人』を後世に残す知恵を絞ってほしい」と期待している。(樋口浩二、河野揚)
<旧陸軍被服支廠を巡る主な動き>
1913年 旧陸軍の軍服や軍靴の製造を開始
45年 原爆投下後、被爆者の臨時救護所となる
46年ごろ 広島高等師範学校(現広島大)が校舎の一部として利用
52年 広島県が現存する全4棟のうち3棟を国から取得
56年ごろ 民間企業が1~3号棟を倉庫として利用。広島大が4号棟を学生
寮として利用
92年 県が現地で建物の強度を調査
93年 広島市が被爆建物に登録
95年ごろ 倉庫の利用が中止され、学生寮も閉鎖
96年 県が「瀬戸内海文化博物館」(仮称)としての活用を見据え、耐
震性を調査。耐震化費用を21億円と試算
98年 県が「瀬戸内海文化博物館」構想を休止
2000年 県がロシア・エルミタージュ美術館の分館誘致の検討を開始
06年 県が分館誘致を断念
17年8月 県が改めて耐震性調査を開始
18年12月 県が被爆証言を聞く建屋を新設する方針を公表
19年2月 県議会最大会派の指摘で県が方針を撤回。まず1~3号棟の保存
の方向性を整理する方向に転換
9月 県が地震に備えた安全対策に20年度に着手する方針表明
10月 県が耐震化や外観保存、解体などの6案を公表。概算費用は4億
5千万円から84億円
12月 県が1号棟を外観保存し、2、3号棟を解体する案を公表
20年2月 県議会の要望などを受け、20年度の解体着手を先送りする方針
を公表
6月 自民党の「被爆者救済と核兵器廃絶推進議連」が3棟を30億円
で保存する案を取りまとめ、首相官邸に申し入れ
7月31日 自民党議連が「相当数の保存」を県と県議会に申し入れ
(2020年8月1日朝刊掲載)