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ヒロシマ復興の礎 平和記念都市建設法 広島市公文書館 進言文書を確認

 広島の被爆からの復興の礎となった1949年公布の平和記念都市建設法をめぐり、連合国軍総司令部(GHQ)が制定についてお墨付きを与えたことを示す文書が見つかった。マッカーサー最高司令官の側近だったホイットニー民政局長に宛てた、ジャスティン・ウィリアムズ国会・政治課長の覚書。国立国会図書館が所蔵する「ウィリアムズ文書」から広島市公文書館が探し出して内容を確認した。(編集委員・西本雅実)

 覚書は、ウィリアムズ課長が、参院の山田節男議員(後に広島市長)らの訪問に応じた49年5月3日に作成されていた。

 「山田氏ほか65人の参議院議員が起草した法案は、衆参両院の全政党・会派が賛成し、広島県の自治体関係者らも1年以上運動を続けています」などと、経緯を前段で説明。

 続いて「政府は旧軍用地を市と県に『譲渡することができる』、市と県は『事業執行の費用を負担する』と明記しています。GHQ参謀部の審査ならびに調整が必要な文言はありません。広島市が世界平和の名のもとに行動を踏み出すことを認めるかどうか、高度な決定が必要と思われます」と進言し、法案の英文を添えていた。

 法案は、参院が同年5月9日提出すると、衆院は急きょ同じ内容で10日提出して即日可決。翌11日に参院も可決し、広島市民を対象とした国内初の住民投票を経て8月6日公布された。平和記念公園の建設や国有地計34ヘクタールの無償譲渡が進んだ。

 関係者の回想録は、広島側がマッカーサーの賛同を得ようと働き掛けに努めたことを伝えているが、市公文書館の中川利国館長は「GHQ内部の考えや動きが当時の文書記録で裏付けられた」と話している。

 ウィリアムズ氏は、GHQ時代の作成文書を学長補佐を務めた米メリーランド大に79年寄贈。国会図書館はマイクロフィルム43巻を入手し、2002年から公開している。氏は同年96歳で死去した。

復興の内実示す

広島平和記念都市建設法の制定過程に詳しい石丸紀興・元広島大教授の話

 立法化はGHQの賛同なしには進まなかった。文書はそれを明確に示している。GHQは被爆地の動きを注視し、広島側は原爆投下を批判せず平和記念都市の建設をうたうことで復興事業を具体化させようとした。占領期の広島復興の内実はもっと知られていい。

(2013年6月9日朝刊掲載)

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