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[ヒロシマの空白 被爆75年] 仲良し家族 生きた証し 資料館寄贈のアルバム。6人みんな笑顔だった

 被爆前に広島市中心部で理髪店を営んでいた鈴木六郎さんが残し、原爆資料館(広島市中区)に託された計3千枚以上の写真アルバム。一家全滅を強いられた家族の生きた証しが刻まれると同時に、被爆前の街を伝える写真資料の「空白」を埋める貴重なカットだ。資料館は整理を進め、来年の新着資料展などで紹介する。(水川恭輔)

 百貨店の福屋などが立ち並ぶ繁華街の八丁堀(現中区)、本通り商店街の近くの店先で遊ぶ六郎さんの子ども…。写真は被爆前の市内のにぎわいや笑顔にあふれる家族の日常を伝える。写真を張ったアルバムには六郎さんが「僕の子供時代ソツクリだ」などとわが子への思いも記している。

 しかし、原爆で6人家族の日常は奪われた。六郎さん=当時(43)、長男英昭さん=同(12)、長女公子さん=同(9)、次男護さん=同(3)、次女昭子さん=同(1)=が犠牲に。重傷を負い、家族が誰も助からなかったらしいと知らされた妻フジエさん=同(33)=も、井戸に身を投げた。

 写真は六郎さんが被爆前に親族の家に移していたとみられ、おいの鈴木恒昭さん(88)=広島県府中町=が自宅で保管してきた。近年傷みが目立ってきたため、昨年末に寄贈を決断した。

 恒昭さんは、英昭さんと被爆前日も川で遊ぶなど、家族同然の付き合いだった。「本当に仲の良い家族だった。資料館で世界中の人に見てほしい」と願う。

 資料館は2014年、恒昭さんから約700枚のデータの提供を受けた。今回で全てがそろい、新たな情報が得られているという。高橋佳代学芸員は「六郎さんの店を中心に、周りの街が一軒一軒、浮かび上がってくるようだ」と話す。

 中国新聞は寄贈に先立つ昨年秋、恒昭さんから写真データの提供を受けた。今年1月に開設したウェブサイト「ヒロシマの空白 街並み再現」で順次、公開している。

(2020年8月5日朝刊掲載)

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