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[ヒロシマの空白 被爆75年] 在韓被爆者に健康手帳 金さん 偶然から証人発見

あの日から75年 全体像なお不明

 広島で被爆した在韓被爆者の金殷明(キム・ウンミョン)さん(77)=慶尚南道固城郡=がこの夏、被爆者健康手帳を取得した。証人が見つからないため申請を諦めかけたが、市民団体の支えをはじめ、偶然にも助けられて取得にこぎ着けた。在韓被爆者の全体像は今なお分かっておらず、その「空白」は被爆から75年を経ても埋まっていない。(明知隼二)

 金さんは1945年8月6日、福島町(現広島市西区)の自宅で父能白(ヌンベク)さん=当時(33)、母趙富信(チョ・プシン)さん=同(24)=と被爆した。2歳だった金さんは頭の骨を折る大けがをした。一家は己斐国民学校(現己斐小、西区)に避難。その後、郊外の知人宅でしばらく過ごし、帰国した。

 父はけがで働けず、金さんは小学生の頃から働いて母を支えた。成人し、結婚した後も妻子を家に残して各地の建設現場を転々とする暮らし。父母は手帳を取得しないまま他界し、申請制度を知る機会はなかった。

 金さんが申請に動いたのは、ようやく暮らしが落ち着いた2012年ごろだった。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部」の安錦珠(アン・クンジュ)さん(56)=西区=たちの支援を得たが、幼少期の被爆で当時の状況や広島の地理の記憶が乏しく、証人捜しは難航した。

 転機は18年。金さんの娘が営む食堂に、日本語で話す夫婦の客が訪れた。話してみると、広島時代に家が近く、親同士の付き合いがあったと分かった。証人を快く引き受けてくれた。

 08年から申請が在外公館でできるようになっており、18年12月に韓国・釜山の日本総領事館で正式に申請。長い審査を経て、ことし6月12日に手帳を手にした。金さんは「諦めかけたが、悔しくて続けてきた。ようやく認められてうれしい」とコメントした。

 韓国原爆被害者協会(韓国)によると、協会には今月3日現在で2130人が登録し、うち57人は手帳を持たない。手帳や協会の存在さえ知らない人も多く、在韓被爆者の全容は今も不明だ。安さんは「幼い頃に被爆した人や、親を失った人たちには申請すら難しい。こうした人たちを捜し、救うのは、本来は公の仕事だ」と訴えている。

(2020年8月5日朝刊掲載)

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