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社説・コラム

[ヒロシマの空白 被爆75年] 「歴史」にしない努力を

■報道センター長 吉原圭介

 戦争をしてはいけない。平和は大切。核兵器は非人道的だ…。いわば常識である。けれど、一度立ち止まって考えてみたい。私たちはそこで思考停止に陥ってはいないだろうか。

 ―米軍が広島に原爆を投下した日時は。

 8月6日午前8時15分。

 ―亡くなった人数は。

 1945年の年末までに14万人±1万人。

 一定の年代以上は反射的にそう答えられる。あたかも歴史の試験に回答するかのように。広島が焦土と化して75年。その長い歳月の中で、原爆による被害は自分とは縁遠い歴史になってはいないか。人々の頭の中で知識として処理されていないか。

 節目の年に向け、われわれは昨年11月から長期連載「ヒロシマの空白」を展開した。14万人±1万人の被害といいながら、実際に名前が分かっているのは8万9025人にすぎないことや、原爆による被害の実態が未解明のままになっていることを報じてきた。

 連載の中で、まだまだやり残した調査があり、新聞社単独でも被害の「空白」を埋められることを示せた。行政が本気になれば、もっと実態解明が進むことは間違いなく、より事実に近づくことはできるはずだ。

 75年がたっても、死者数を推計値でしか語ることができないことに思いをはせよう。この世に生を受け、愛され育てられた人たち。一人一人に名前があり、人生があった。それなのに13万人から15万人という幅でしか語られない。あらためて戦争とは、核兵器とはそういうものなのだと認識しなければならない。

 そして、国が始めた戦争にもかかわらず、国は犠牲者の全容調査をしようとしてこなかった。その不作為も戦争の現実なんだと再確認したい。

 人は2度死ぬといわれる。生涯を終える時と、その人のことを知る人がいなくなる時と。あの日、誰にもみとられずに亡くなり、今も死没者として扱われていない人たちがいる。遺伝子までも傷つける核兵器の恐ろしさを訴え続け、廃絶を求めながらも実現を見ぬまま逝った人がいる。その人たちのことを私たちは忘れてはいけない。

 14万人±1万人に象徴されるように、原爆被害の実態は分かっていないことが多い。歳月を経ても、官民ともにできる調査はまだある。やり残したままで常識や歴史にしてはならない。きょう節目の日。何ができるかを問い直そう。被害実態の「空白」を少しでも埋め続け、人々の尊厳を取り戻すために。

(2020年8月6日朝刊掲載)

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