×

社説・コラム

社説 ヒロシマ75年 人類が自ら滅びぬために

 原爆投下で広島の街が破壊されて、きょうで75年になる。当時、米国や英国、フランスなど連合国は沸き立ち、各国メディアもこぞって、日本の降伏への期待を込め、原爆の威力をたたえる報道を展開していた。そんな中、いち早く核兵器の危険を見抜いていた人間がいた。

 パリで対ナチス抵抗組織の新聞「コンバ(戦闘)」の編集長を務めていた作家のアルベール・カミュ。人類が新型コロナウイルスに見舞われた今年、それを予見していたような小説「ペスト」で再び脚光を浴びた。

 カミュが筆を執った1945年8月8日の社説に、こんな一節がある。「サッカーボールほどの爆弾一つで、どんな中規模の都市でさえ完全に破壊され得ることを私たちは教えられた。機械文明は今や野蛮という最終段階に達したのだ」

 原爆による被害、とりわけ放射線の人体影響について詳細が全く分からなかった時点で書いたことを考えると、本質を鋭くつかむ眼力は驚くほかない。

終末時計100秒に

 科学が組織的殺人に使われることや、人類が存続できるかについても憂慮していた。遅かれ早かれ人類が自ら滅びるか科学的な成果を賢く利用するか、どちらかを選ばなければならなくなる、と。

 広島、長崎への原爆投下から75年。カミュの指摘通り、核兵器がある限り人類の存続が危ぶまれる状況は変わっていない。危機はむしろ深刻さを増している。

 地球最後の日までの残り時間を概念的に示す米科学誌の「終末時計」が現状を表している。今年1月、過去最悪の「100秒」になった。米国、ロシアの中距離核戦力(INF)廃棄条約が昨年夏に失効したことなどが響いたのだろう。史上初めて特定分野の核兵器全廃を定め、冷戦終結に道を開いた条約だった。

 今や米ロ間の核軍縮関連条約では新戦略兵器削減条約(新START)が残るだけ。配備戦略核弾頭数や大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの運搬手段総数を制限するもので、延長交渉がまとまらなければ来年2月に期限を迎える。

 核戦争に対する貴重な歯止めが失われつつあると言えよう。にもかかわらず、地球上にある核兵器の9割を保有する米国とロシアは「使える核兵器」を目指して小型核の開発を進めている。中国も急速に軍備を増強しており、南シナ海や尖閣諸島での挑発的な行動は目に余る。

 地球規模の視野を持たず、自国さえよければいいとの考えに毒された指導者たちが、いかに多いことか。世界のかじ取りを任せておけば、人類が自ら滅亡してしまいかねない。

コロナ禍で制約

 しかも、こうした核保有国の手前勝手な言動をただすはずの市民の行動が、コロナ禍により思わぬ制約を受けている。

 5年に1度の核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、今春開催の予定が年明けまで延期になった。多くの被爆者が国連本部に出向き、原爆の惨禍や核兵器廃絶の必要性を訴える予定だった。

 影響は、被爆地広島にも及ぶ。昨年春に本館の展示を一新して入館者が増えていた原爆資料館が、休館や入館制限を強いられている。修学旅行生や海外からの訪問者が激減している。オンラインでの資料館見学や、記憶の継承といった試みは進んでいるが、広島に来て学んでもらえなくなっている。残念だ。

 きょう開かれる平和記念式典も大幅な縮小を強いられた。それでも、広島市として政府に注文すべきことは、きちんと言わなければならない。

 まずは核兵器禁止条約への賛同を促すことだ。核と人類は共存できない―。そう考える多くの人の後押しで、3年前に採択された。核兵器の使用や威嚇、保有までも禁じるなど、被爆地の願いが形になった、と言えよう。あと10カ国・地域の批准で発効にこぎ着ける。

 そうなれば、核兵器は法的に禁止される。そっぽを向いてきた保有国も無視するのが難しくなろう。日本政府も「核の傘」頼みをいつまでも続けられまい。

 かたくなな保有国らの姿勢はなかなか変えられない。そんな見方があるかもしれない。しかし多くの声が集まれば、変えられるはずだ。その代表的な産物が禁止条約であり、ほかにも例はある。

地獄か、理性か

 三菱UFJフィナンシャル・グループは今年5月、企業に対する投融資指針を改定し、核兵器製造への融資禁止を明記した。それまでは兵器では非人道的との指摘があるクラスター(集束)弾だけを禁止していた。

 大手・地方銀行など16行が核兵器製造企業への投資を自制する指針を定めていると、2~3月の共同通信の調査に回答があった。4行は、公開している指針で核兵器に直接言及しているという。

 背景には、環境・社会問題に対する企業の取り組みを投資判断の基準とする「ESG投資」の国際的な広がりがあるのだろう。企業の姿勢に敏感な顧客・消費者が増え、金融機関も、その声に応えようとしているようだ。  非人道的な兵器の拡散や、

地球温暖化の深刻化…。こうした人類の現状に危機感を抱く人が増えている証しでもあろう。禁止条約が発効すれば、核兵器への関心はさらに高まるに違いない。

 地獄か、理性か。どちらかを選ぶよう迫って、カミュは例の社説を締めくくっている。人類が生き延びることができるか、私たち一人一人が問われている。惨禍を繰り返さないため、核廃絶という道しかないのは明らかである。

(2020年8月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ