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社説・コラム

『潮流』 海の向こうからの声

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 被爆75年の節目がこうなるとは、昨年の今頃は想像もできなかった。新型コロナウイルス対策のため、広島市の平和記念式典は出席者を大幅に減らして実施される。各地での慰霊祭も一部は中止に。猛暑への懸念が相まって平和記念公園に足を運ぶのを断念した被爆者も多いだろう。

 先が見えず、何ともやるせない。米国に目を向けると、日本をはるかに超える厳しさだ。カリフォルニア州は米国内でも感染状況は深刻だと報じられている。

 そんな中、広島大付属小の6年生と、同州ロサンゼルスや近郊に住む米国広島・長崎原爆被爆者協会(ASA)の4人の自宅をオンラインで結び、被爆時と戦後の体験を聞く集いがあった。広島市民の有志が企画した。

 被爆者たちにとって、古里の子どもたちとの交流は初めて。オンライン会議ソフトを使いこなすべく、更科洵爾(じゅんじ)会長(91)たちは子や孫の手を借りながら練習し、この日に臨んだ。児童たちの質問に答えながら、画面の向こうの更科さんが「核兵器なき世界への私たちの思いも、将来に伝えて」と託す言葉を聞き、胸が熱くなった。

 5年前、米国取材で4人を訪ねた。浄土真宗本願寺派のオレンジ郡仏教会でお茶会を開き、納骨堂で手を合わせていた。ロサンゼルス市内の高野山米国別院には平和記念公園で分火した「平和の灯(ともしび)」があり、8月はここに集って原爆犠牲者の追悼集会を催す。広島出身者の心のよりどころの一端に触れた気がした。

 今年は感染防止のため自宅にこもらざるを得ない。広島の子どもたちとの語らいは、在米被爆者にとって大きな励ましになったろう。皮肉にも、コロナ禍がつなげた人と思いがある。きょう、原爆の日。日本と世界の各地で生きる被爆者の平和への願いを、より身近に感じたい。

(2020年8月6日朝刊掲載)

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