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亡き医師の絆つながった 次男の中村さんと元看護師先川さん 68年ぶり再会

 戦時中、広島市中区の小児科医中村力さんの病院で働いていた看護師の先川ハナコさん(86)=東広島市西条町=と、中村さんの次男、玄さん(81)=広島県府中町=が被爆後、ほぼ68年ぶりに再会した。爆心地からわずか700メートルの病院跡に出向いて互いの無事を喜ぶとともに、被爆死した力さんをしのんだ。(二井理江)

 原爆投下時に、18歳だった先川さんは、休みを取って東広島市の実家に戻る山陽線の列車内にいた。翌7、8日と広島に帰り、力さん=当時(46)=や同僚を捜して、市内や府中町を歩き回ったが、見つけられなかった。

 13歳だった玄さんは、中区東千田町(爆心地から約1・5キロ)の広島高等師範学校付属中(現広島大付属中)から近くの農園に向かう途中で被爆。背中や両腕などに大やけどを負いながら10キロ以上歩き、疎開していた府中町の自宅に戻った。母や兄、姉が病院跡などを1週間捜して、力さんの自転車や頭蓋骨、看護師の遺体を見つけたという。

 先川さんを含む看護師は全員亡くなったと思っていた玄さん。先川さんも、玄さんは被爆死したと考えていた。ところが、5月中旬、被爆証言を聞く中国新聞の連載「記憶を受け継ぐ」に先川さんが登場。記事を読んだ玄さんが、亡父の病院に間違いないと中国新聞社に問い合わせた。

 被爆後、初めての再会。「背格好から雰囲気まで、(力)先生そっくり。すぐに分かった」と先川さん。玄さんは「お互い、よう生き残った。病院のことを覚えていてくれて、ありがたい」と目頭を熱くしていた。

 2人は、玄さんが持参した、当時の看護師や家族の写真を見たり、被爆後に撮影された病院跡周辺の写真で病院の場所を確認したりした。

 父の遺志を継いで医師になった玄さん。「原爆に遭ってなければ、一緒に仕事をしていたかもしれない」。「ほんまよねえ」とほほ笑む先川さん。「二度と原爆が使われてはいけんし、戦争もあっちゃあならん」と、うなずき合った。

(2013年6月11日朝刊掲載)

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