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はじめに

世界のヒバクシャ

はじめに

 広島・長崎に原爆が投下されてからすでに45年が過ぎた。この間、核兵器が戦場で使用されたことは一度もない。しかしながら、第2次世界大戦以後、放射線による被害や悲惨な出来事がなかったかというと、決してそうではない。際限のない核実験、核兵器製造、ウラン採掘、原子力発電所事故などによる被害が続発し、「ヒバクシャ」は増え続けた。

 それだけではない。放射性物質による地球環境の汚染は深刻である。ここ数年、地球温暖化、オゾン層破壊、酸性雨など地球環境の危機がさまざまに語られている。だが、なぜか環境論議から、放射能汚染問題が抜け落ちている。放射能汚染は地球環境を語る際の「原点」ではないのか。

 中国新聞社は、広島・長崎以後の放射線被曝による被害の全容を地球的規模でとらえ直す作業が必要と考え、特別取材班を編成して、知られざるヒバクシャの現状をヒロシマ記者の目で詳細にリポートするとともに、その対応策を探った。放射線被害の解明が「ヒバクシャ」を救い、地球環境を守るために不可欠と考えたからである。

 取材はソ連チェルノブイリ原発事故現場や周辺諸国、南米ブラジル、アメリカ、太平洋諸島、インド、南アフリカのナミビアなど15カ国、21地域に及んだ。このうちブラジルの医療用放射線事故、マレーシアの日系企業によるトリウム汚染、インドの核開発被害、ナミビアのウラン工場、ソ連セミパラチンスク核実験場の実態は、これまでほとんど報道されていない。

 ここで「ヒバクシャ」という言葉に触れておこう。日本の新聞は広島・長崎の原爆被害者を「被爆者」と表記する。原子爆弾による被害者という意味である。これに対して、放射線被害者は、放射線に曝された人という意味で「被曝者」と書く。一方、10年くらい前からこの両者を「核時代の被害者」ととらえ「ヒバクシャ」と呼ぶことが一般化し、国際的な平和会議や放射線医学の専門家の間でも「HIBAKUSHA」で通用する国際語になった。連載に当たって中国新開は、この第3の意味で「ヒバクシャ」を使った。

 さて「世界のヒバクシャ」は連載が進むにつれて大きな反響を呼んだ。「広島・長崎以後も、こんなに放射線被害があったとは……」「何の罪もない太平洋の人たちを踏みにじった大国の核実験は許せない」「自国民までだまし続けた核超大国は、早くヒバクシャを救うべきだ」「地球をこれ以上汚さないため、核実験をすぐやめさせよう」……。修学旅行で広島を訪れ連載を読んだ全国各地の中学、高校生から、連載のコピーを送って欲しいという手紙が舞い込んだ。シリーズごとに記事を掲示板に張り出す図書館や公民館、平和教育の教材に使う学校など、連載はさまざまな形で読者の輪を広げた。

 連載途中の1989年10月、「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)の世界大会が広島市で開かれた。連載記事が機縁で、大会にはチェルノブイリ、ビキニなど世界の放射線被害者が出席し、ヒバクシャ救済と核のない世界実現を訴えて大きな共感を呼んだ。またこの大会では、これまで秘密のベールに包まれていたソ連カザフ共和国セミパラチンスク核実験場の被害の一部が明らかにされ、それがきっかけになって、中国新開の同実験場取材が世界で初めて実現した。

 連載は同時に、世界の放射線被害者に対する日本や広島の任務を問う形になった。その詳細は本書に譲るが、被爆者対策、被爆者医療の経験と蓄積を持つわが国の政府、自治体、医療・研究機関が、私どもの報道を機に世界のヒバクシャ救済を真剣に検討し、動き始めたことは、中国新聞にとっても大きな喜びである。今後、日本が放射線被害、ヒバクシャ医療の情報センターとしての機能を充実することを期待したい。

 新聞連載は1989年5月21日からスタートし、1990年5月29日まで20部構成、134回に及んだ。その間、8回の関連特集記事を掲載し、締めくくりにヒバクシャ世界地図と放射線被害年表を含む別刷特集を発行した。

 連載企画「世界のヒバクシャ」は1990年度の日本新聞協会賞を受賞した。中国新聞はこれまで「ヒロシマ20年報道」(1965年)、「ヒロシマ40年報道」(1985年)でも日本新聞界最高の栄誉である新聞協会賞をいただいており、原爆・平和・被爆者問題での受賞は3度目である。

 取材は島津邦弘(編集委員)、田城明、籔井和夫、西本雅実(以上報道部)、岡谷義則、栃藪啓太(以上東京支社)、川本一之(ニューヨーク支局)の7人が担当した。出版に当たって掲載の順序を組み替え、現地ルポのシリーズは読みやすいよう一部加筆した。また、まとめの部分は、連載では「取材を終えて」と「ノーモア核被害―明日への提言」の2シリーズとなっていたが、本書ではそれを一本化し、連載終了以後の新しい動きを加筆した。

 本書が世界の放射線被害や地球環境の実態理解に役立ち、こうしている今も放射線の不安に怯えながら生きるヒバクシャ救済につながれば幸いである。

中国新聞社常務取締役編集担当  尾形 幸雄
1991年2月